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「布さらしの灰汁」命名のいわれ

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「布さらしの灰汁」命名のいわれ
 
 
閃いたネーミング
 
 幼い頃、春になると祖母と里山にワラビ、ぜんまい、こごみ、うど、水辺にあるセリなどを採りに行きました。冬の間は切干し大根や干し野菜などの干物ばかりのおかずや味噌汁だったのが、山菜が採れるようになるといっきに緑色のそれらの新鮮な香りと美味しさに子供らしく嬉々としたものです。私は特にこごみのごまみそ和えが好きでした。山菜を代表するワラビは採ってきて時間が経つと固くなるので、その日のうちに熱湯でさっと茹でます。その際、囲炉裏の灰を少し鍋に入れるのは、渋みやえぐみを取り除くためです。一晩そのままにしておき、その後、水で洗い調理します。
 子供の私は、祖母が薪の燃えカスの白い灰を沸騰した鍋に入れるのを不思議なこととして見ていました。囲炉裏の薪は燃えてその役目を果たした後にも、まだ灰として役立ったのです。

 灰と言えば聖書の世界では専ら荒布をまとい、(列王上21:27)(列王下19:1、2)(ネヘミア9:1)(マタイ11:21)灰を被り、または灰の中に座るという、悔い改めの表現でした。(ヨシュア7:6)(サムエル下13:19)(エステル4:3)(ヨブ2:8)(ダニエル9:3)(ヨナ3:6)(マタイ11:21)また喪を表わす表現でもありました。詩編102:9には「灰をパンのように食べる」と究極の表現もしています。本当に食べたのでしょうか?

 日曜学校の先生があるとき「自分を家電製品に例えたら何になりますか?」と質問しました。皆さんは冷蔵庫だとか、掃除機だとか言いました。私はとっさに自分は洗濯機であると思いました。先生は続けました。「なぜ洗濯機ですか?」私は答えました。「汚れたものを綺麗にするのが好きだからです。」

 灰に水をつけてできる灰汁(あく)は正に汚れを落とす古代の洗剤の役割を果たしました。
「たといわたしは雪で身を洗い、灰汁(あく)で手を清めても」(ヨブ9:30)
「あなたのかすを灰汁(あく)で溶かすように溶かし去り、あなたの混ざり物をすべて取り除く」(イザヤ1:25)
「たといソーダをもって自ら洗い、また多くの灰汁(あく)を用いても、あなたの悪の汚れは、なお、わたしの前にある。」(エレミヤ2:22)
「布さらしの灰汁(あく)のようである。」(マラキ3:2)
灰汁の主成分は炭酸カルシウムですが、灰汁のアルカリ性成分が洗剤や漂白剤に使われたのです。
灰汁(lye)訳されているヘブライ語の「ポーリート」という言葉は植物性のアルカリを差していて、鉱物性の「ネテル」とは区別されています。ネテルはソーダー石ともいわれる炭酸ソーダーを指しているそうで、前述のエレミヤ2:22は同じ節に「ネテル」と「ポーリート」の両方の言葉が使われています。
 また現代のlyeは水酸化カリウムで古代のそれとは異なるということです。
 洗濯だけでなく染め物にも灰汁が使われました。不純物や余分な染料を落とすためです。

 当時は世界的に灰汁が洗濯に使われていたので、どのようにして使われたのか検索してみました。イスラエルでは検索できませんでしたが、日本の場合は「洛中洛外図」や「浮世絵」に見付けることが出来ました。
 当時の「さらし」と「洗濯」は言葉が違っても内容はそれほど違ってはいません。灰汁(木灰汁や藁灰汁)を布に均等に沁みこませるために臼に布を入れて杵で打っている絵です。
 まるで餅をついているようですが、それは現代におきかえれば、洗濯機に洗剤を入れて掻き回す作業に相当するのだそうです。そばの川でその布を水にさらしています。布が長い反物のままで描かれているので染め物の場合でしょうか。

 このサイトの命名を名誉編集長から依頼された時、それは「布さらしの灰汁(あく)」だと閃きました。自分を家電製品に例えれば洗濯機だからでしょうか?つまりなぜ、その言葉が閃いたのか説明することができません。
                                  2013.9.2
                 文章:岸野 みさを

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