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2013.06.11 紀行文「モニュメント バレーを行く」 投稿者:パシリーヌ
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モニュメント バレーを行く

パシリーヌ

■モンテズマキャッスル(岩屈)

 インカの王さまの名前で突然消えた種族だ。彼らは農耕をしていて、モンテズマの井戸と呼んでいた大きな池から高度な技術をもって水を引いた。壺とか箱をヤッカという植物の繊維を用いて作る。
 ウランの廃物を投棄した所を通る。インディアンが死に、草や木や家も無くなった。その上に土を乗せてあるだけだという。
 ナバホの男たちは土木工事などで働き、妻は家で羊を飼って生活し羊の毛を紡いで、山羊の乳でチーズを造り、ヤッカを造る。野菜や水も物々交換している。ガスや石油ヒーターを使っているところもあるそうだ。自然の中に溶け込んで美しさとハーモニーの中で生活するのがナバホ族の生活だという。
 給水塔が見えてきた。ここから近くのナバホに供給している。ロシアのオリーブの木が見えてきた。実はならないそうだ。
像の足という岩が見えてきた。
 ブラックメサ、石灰の加減で岩肌が黒くなっている。鉄道トロッコでブラックメサからヘイツに石炭を運んでいる。現在は電線とレールで電気が繋がり電車で運んでいる。石炭を掘った後は草を埋めて返すのだそうだ。小さな竜巻が所々に起こっている。地面が熱くなるとそのような状態になる。羊が道路を歩いているのでバスはノロノロになる。ナバホの羊だ。
 ナバホは死者の名前を言わないので、トレイディングポスト(インディアンと取引している店)がその代りをやるそうだが、どうやって?
 マウンテンマイヨンとかマウンテンキャッツが山の方に沢山いるそうだ。ガラガラヘビのことだ。
 ナバホマウンテンの向こうにユタの教会があるとガイドの説明だ。ナバホマウンテンはユタ州との境界線だ。ユタペイジに入る。右側は延々とブラックメサが続く。

■アナサキインディアンのこと

 彼らは1400年頃ポピーインディアンと別れた部族だという。
 アナサキとはエンシェントとい意味だ。干ばつが続いて、食いつなぐことができなかったので、ニューメキシコのディオグランテに移動した。彼らはすぐ戻ってくるつもりで色々なものを残していった。結局戻ることが出来ずに、おいて行った品々は現在博物館が所持しているそうだ。
 ナバホはアリゾナ州だけで22万人の人口が1600万エーカーに住んでいる。アリゾナのその他の人口は300万人である。
 石灰を貯蔵しているタンクの側を通りすぎる。日本の企業の三菱が造ったそうだ。ベルトコンベアで運ぶ。
 所々に泉があるが、井戸を深く掘っても水が出ない。風力や電気でもだめなのでナバホは遊牧で生きてきた。この辺りは何億年前海の底だったので貝殻などの化石が出る。
 アナサキインディアンの洞窟があった。凶暴な彼らでも他の種族から逃れるために洞窟に住んだ。縄梯子がかかっている。それを取り外してしまえば敵が登ってくることはできない。彼らは岩から岩に飛び移るそうだ。メロン、カボチャ、サヤインゲンなどの農耕の跡がある。ビーツのフルーツの木もある。

■ナバホ族の聖地モニュメントバレー

 地中から溶岩が噴出して、鉄分の多い赤い岩石ナバホサンドストーン(砂岩)になり、メサといわれるテーブル型の大地やビュートといわれるモニュメント(記念碑)岩石が造られた。2億7000万年くらい前の地層が、風化浸食で削られてこうした形になり、現在もそれは進行中だという。グランドキャニオンもやがてはモニュメントバレーのようになるという。
 ボーリング スクールというナバホのための寄宿舎の側を通り過ぎた。子供たちは週末には自分の家に帰るそうだ。仔馬が道路を歩いている。政府が建てたインディアン居住地だ。風によって造られた岩が見える。「Back to the future Ⅲ」の手袋山はここから撮影されたという。タラボラアンテナはあるがテレビはない。発電機や車のバッテリーから電源を取るそうだ。電線はあるがこの家には電気はない。ナバホは頑なで60%は貧民に該当しているとのことだ。
 ホーガンというインディアンの家が見える。ユタ州に入った。このホーガンはナバホの出店でサウナとして使っているそうだ。
 王様とイスの岩が見えてくる。その形がなかなか判別できなかった。昼食タイム。2時過ぎていてお客も多くトイレも簡易みたいだ。アメリカ人も多く並んでいて、私が丁度ペーパーの処に並んでいて、「Excuse me」と言ったようだが、私に言っているのか分からなかった。すると日本人の女のガイドがスゴイ剣幕で「退いてください!」と言って私を押しのけた。ペーパーを取りたかったのだ。「すみません。」とは言ったものの、ま~。
 ここに到着するまで、バスの女性の運転手にK社のNさんなどがブーブー言っていた。彼らは昨日もツーソンに行ったはいいが、遠かったり、トイレが300人に3つしかなかったという。今日もまた長い長いアリゾナの荒野の旅で、おまけにオンボロバスもいいとこで、クーラーは後ろが寒々、前の運転手は暑い暑いと言い、マイクは故障していて通訳は声を張り上げなくてはならず、椅子のリクラインは効かないのだ。
 おまけに運転手はアリゾナをこよなく愛し、このコースをひたすら誇りにしているはいいが、ジョン・ウエインの「駅馬車」を白黒の小さなテレビでつけっ放しで、しかも大音量なのである。
 せっかくの広大無辺の荒野が台無しだ。結構アメリカ人は他人の立場に立たないのかと思った。又、運転手はバスの掃除も自分の仕事なので、昨夜11時過ぎにツーソンから戻って、それから掃除して、2時間しか眠っていないと言うのだ。とんでもないバス会社のシステムではないか。事故でも起こしたら誰の責任になるのか?「だから、皆さんリクラインは自分で元へ戻してください。ゴミは必ず前の箱に入れて下さい。」と盛んに言うのである。日本人のマナーもひどいが、そんな観光バスのシステムはもっとひどいと思う。しかし、運転手はアリゾナを愛してやまないだけあって、運転しながら8時間もぶっ続けで、要所要所の説明をするという、とんでもないパワーを持つアメリカ人女性なのである。
 日本人の通訳は単にそれを日本語に訳すだけであり、しかも日本語がスムーズに出てこない。アリゾナは実にWild Westである。昨日のツーソン行きでは多くの人たちがブーブー言ってM副社長が「だからここはアメリカです。日本にいると思わないでください。」と喝を入れたとか。
 さてピザの昼食の後はインディアンバスに乗り換えてモニュメントバレーに向かう。29人、25人、10人乗りのバスで、ガイドがこのバスに乗れば今までのバスがどんなに良いか分かるでしょう、と言うのだ。アリゾナに20年も住んでいるという日本人だが、なんか皮肉っぽかった。
 砂ぼこりの谷をガタガタ行く。物凄い砂ぼこりだ。景色は2億年という時と自然が創り上げた超大傑作で言葉を失う。
 三姉妹とかコーヒーポットとか、それぞれの岩に名前が付いていて、そのような形をしているのである。
 荒々しい荒野の中に、これまた荒々しい岩が聳えていて、その荒涼たるグルリ360度の大地は鉄分で茶褐色をしている。太古の世界、ジュラ紀の前の三畳紀か、はたまた地球の終わりかと思わせるほど、文明や人間の存在を許さない迫力なのである。
 われら点のような人間たちは砂ぼこりにまみれながらバスから降りて、その世界に埋没されるのを恐れるかの如くにキャッキャッと騒いだり笑ったりしながら、盛んにポーズを取って写真に納まっている。
 私はといえば、未知の世界に迷い込んだかのような錯覚を覚え、それでもカメラでパチパチ周りを撮っていた。夫はといえばビデオを廻し続けて、二人とも単なる観光客になっている。
 枯れ木が一本あって、それは1988年の「Back To The FutureⅢ」の撮影の時植えられたものだとガイドが言った。そこで写真を撮ってもらった。インディアンの幼い少女が馬に乗って観光客と一緒に写真を撮られている。何ドルかが必要だという。
 先ほど、昼食をした場所から見た荒野はどこかで見たような気がした。1946年の「My Darling Clementine」のシーンかも知れない。なにしろMonument Valleyの壮観は七つもの映画の舞台になっていると説明書に書いてある。

  • 改めて、アメリカの広大な国土に圧倒されます。写真だけでも、十分に景観が伝わって来ました。こういう場所で時間を過ごすと、人生観にも影響を受けそうな気がします。 -- 昼寝ネコ 2013-06-25 (火) 01:24:05

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