穀粒(こくつぶ)会員のための、創作および出版支援サイト

13100602シルバー仮面

トップページへ 譜面台の練習曲メニューへ 画像の説明

2013.10.06 その他「マリヨセレポートパート1(ダイジェスト)」 投稿者:シルバー仮面
 
 
マリヨセレポートパート1(ダイジェスト)
 
 

シルバー仮面
 
 
 

 2013年9月28日(土)マリヨセお食事会が町田ステークセンターで開催された。(町田ステークマリヤとヨセフの会はシニア世代の交流組織です)
招待状には『お話しを聞き、美味しいものを食べ、心とからだを養いましょう』と書かれてある。
 午前の部は井澤勝子姉妹(多摩ワード)と鈴木姉妹(相模原ワード)のお話。
 故人となった井澤勝子姉妹のお話を生前交流のあった宮坂強兄弟(多摩ワード)から聞く。
 1961年ジョン・F・ケネディ・アメリカ大統領就任のとき、エドウィン・O・ライシャワー博士が新しい日本大使として着任。その後暴漢に襲われ東京都港区虎ノ門病院に入院中、博士のたっての願いによりお世話することになった井澤勝子姉妹は、ご夫妻との交流を深める。
 帰国後脳溢血で病の床にふす博士の病状を心配し、見舞いのため手紙とモルモンタバナクル合唱団のテープ送ろうと考える。しかし、連絡先がわからない。一計を案じ、アメリカ人帰還宣教師に手紙とテープを託した。月日が流れ、いくにんかの手を経て博士のもとに届いた。
 数日してライシャワーさんから返信が来た。病室での井澤勝子姉妹とライシャワーさんとの写真が同封されていた。
 こうして反米感情緩和のため、ケネディ大統領の特命を受けて日本大使に就任した歴史的人物、ライシャワー博士との親交は、井澤勝子姉妹にとって生涯忘れることのない思い出となった。
 いまそれらの思い出の品々は『宝箱』に納められ、宮坂強兄弟に引き継がれている。
 続く(次回は鈴木正子姉妹のお話です。お楽しみに(^_^)
 
 

  • 大変貴重なレポートを有難うございました。
    そのような歴史に生きた方がいらっしゃったんですね。
    続編や詳細記事を期待します。 -- 昼寝ネコ 2013-10-07 (月) 00:37:58
  • 国を動かした人物に関わったモルモンがいたのですね。「博士のたっての願いによりお世話することになった井澤勝子姉妹は…。」とありますが、その最初の出会いの詳細をもう少し詳しく知りたかったです。 -- パシリーヌ 2013-10-07 (月) 06:25:50

認証コード(3623)

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional