14060102増井重治
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「父母を語る-父編」〜おやじの唄
創作フォーラム穀粒一周年記念エッセイ
増井 重治
夢の中のおやじは灰色の帽子をかぶっていた。お気に入りの茶色い靴を丁寧にそろえて、こちらに会釈した。上げた顔の口もとが微笑んでいたような気がする。死者の身代わりのバプテスマを受けた数日後の夜だった。亡くなってから15年が経過していた。兄が儀式要請を遅くしていた気持ちはわかる。
生前、おやじはおふくろに暴力をふるい、仲裁に入った兄を容赦なく殴った。給料は家に入れず浮気もした。むだに帽子や靴を買いこんでは自己満足していた。おやじが死んでもわたしは泣かないと思った。
おふくろは何度も離婚を考えた。自ら命を絶とうと遮断機をくぐったことがある。背中におぶった子の息づかいが、手を握りしめて見つめる目が思いをとどまらせた。
晩年おやじは寝たきりになった。軽い痴呆症も患った。わたしの結婚式には出られず、孫娘を見ることなく逝ってしまった。おやじが死んだ日わたしは号泣した。「もういい、もういい」。肩をたたいたおふくろの声も震えていた。
わたしはおやじの無精ひげを剃り、つぶやいた。「やっぱりおれはあんたの息子だったな」。
「苦労かけた。ありがとう」それが最後の言葉だったよ。おふくろがしんみりと話してくれた。
♯酒は飲めのめ 飲むならば 日の本一の 此の槍を
飲みとるほどに 飲むならば これぞ真の 黒田武士♯
正月の席で唄うおやじの十八番。ヘビースモーカーでコーヒーも好き。むしろ15年の歳月は悔い改めに必要な年数だったのかもしれない。
- 霊界で15年間の反省の日々ですか?でも結果的には、ちゃんと必要な儀式をしてあげられて、良かったですね。人間のもつ怨嗟も、時が徐々に薄めてくれるんだろうと、私自身も実感しています。 -- 昼寝ネコ 2014-06-01 (日) 20:00:54
- 増井重治兄弟
子供たちもお母様もそれは大変な御苦労をされたのですね。終わりよければ全てよし、というシェークスピアの言葉をもってしても過去は拭い去れないかも知れません。改心された別人のお父様に再会できますようにお祈りしています。ところでフォーラム穀粒創設一周年記念を覚えていて下さりありがとうございます。他にどのようなお祝の仕方がいいと思いますか? -- 岸野みさを 2014-06-01 (日) 21:05:12