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14110301昼寝ネコ

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2014.11.03 創作短編・「金曜日の女の死」 投稿者:昼寝ネコ

"DESPERTAR" - Astor Piazzolla
 
金曜日の女の死
 
 
昼寝ネコ

早朝、街はずれの市場で、その女は遺体で発見された。
捨てられた、売れ残りの色とりどりの花の中に
埋もれるように、眼を見開いたまま、
かすかな笑みを浮かべて息絶えていた。

いつからこの街に住むようになったのか、誰も知らない。
どこからやって来たのかも、知る人間はいなかった。
フランス訛りの英語を話すこと以外は、謎の女だった。

女は、週末の金曜日には決まって花屋に立ち寄り
その都度違った種類の、バラを買い求めた。
花束を抱えて街を歩く姿は、まるで
舞台上のプリマのように、気品に溢れていた。

私は、週末の金曜日には花屋の隣の肉屋に立ち寄り
その都度およそ1週間分の、チキンの生肉を買うことが
いつしか習慣になっていた。

女が、その日のバラを選び、店先で
店員が花束に整えるのを待っている間、
私は隣の肉屋で、店員が2キロきっかりに
チキンを切り分けるのを待っていた。

偶然にも同じ時間に、間の抜けた時間を過ごす
お互いの存在に気付いて3回目のときだった。
視線が合うと、女は言葉を口にした。
「Bonjour」と、もろにフランス語だった。
「Bonjour・・・madame vendredi」
 (*vendredi・ヴァンドゥルディ=金曜日)
いつも金曜日に顔を合わせるので、そう言ってみた。
女はほほえみながら言った。
「Parlez-vous français, monsieur vendredi?」
「甘い囁き」という歌の合間に、女性を口説く台詞が
出てくるのだが、それが私の話せる唯一のフランス語なので
そのまま言ってみたら、女は無邪気な笑顔を見せた。

それが、その女との初めての会話だった。

翌週の金曜の同じ時間に、女は花屋でバラを買い、
私は肉屋の前で、いつものように、
生肉が切り分けられるのを待っていた。
女が、今日もチキンなのかと尋ねたので
いや、今日は久しぶりにポークなんだよと答え、
銀行に印税が振り込まれたので、と付け加えた。
すると女は黙ってうなずき、
「まるでサローヤンの世界ね」とほほえんだ。

商品が包み終わるまでの、わずか数分の会話が
それ以来、何度か続いた。
その後、その女と二人きりで会うことはなかったといえば
それは嘘になる。
女と二人で過ごした時間があったといえば、
それは作り話になる。

女は何度か、早朝の夢の中に現れた。
その話をしたら、女は一瞬驚いたような表情で
女の夢の中にも、私が現れたことがあると言った。
そこで少しの間、大人の分別によって会話が途切れた。

女は人生を知り尽くしていたし
私は、自分の人生に新たなものを
持ち込みたくなかったので、
無言のうちに、私たちは互いの境界線を
尊重し合ったのだろうと、思い起こしている。
お互いに、金曜日の女と金曜日の男として
店先での数分の対話が、それだけで十分だった。

    *   *   *   *   *

数日後、女が公営墓地に埋葬されたことを知った。
身許が不明なため、行き倒れの人間、という
処理をされたとのことだった。

金曜日がやって来た。
いつものように、肉屋に近づくと
いるはずのない金曜日の女の不存在を、
私は、無意識のうちに確かめようとしていた。
かすかな欠落感を感じた。

次の週の金曜日、私は肉屋の前を素通りし
花屋に入っていった。
冷蔵ケースには、何種類ものバラがあった。
少し躊躇したが、ビロードのような深紅のバラに決め
思い切って花束にしてもらった。
印税が入った訳ではないのだけれど・・・。

出来上がった花束を受け取ったとき、
店員はこう尋ねた
「monsieur vendredi・・・ですか?」
あの女との会話を聞いていたのだろうか。
私が頷くと、店員は奥に行き紙包みを持って来た。
「madame vendrediが、遠くへ越すことになったので
monsieur vendrediが見えたら、
これを渡してほしいと言われて、預かっていました。
よかった、お会いできて」

私は、その包みを無言で受け取ると、
バラの花束を抱えて公営墓地に向かった。

受付で事情を説明し、
行き倒れの人たちが埋葬されている区画番号を聞いた。
広い敷地なので、探し当てるまで、しばらく歩いた。

墓石には個人名がなく、
仮称と没年月日だけが刻まれていた。
「madame vendredi・・・
さようなら。またいつか、金曜日に」
バラの花束を置くと、そう別れを告げた。

店員から預かった包みを開けるのは気が重かった。
何も始まってほしくはなかったし、
何も終わってほしくもなかった。
なので封を切らずに、あの包みは今もまだ
本棚の一角で、ひっそりと静かに眠っている。
いつか目覚めるときが来るのかもしれないけれど、
今はひっそりと眠っている。
        (2013.02.24)
 
*追記:この曲「Despertar」(デスペルタール)は、
Astor Piazzolla(アストル・ピアソラ)の作曲で
スペイン語の原題の意味は「目覚め」です。
この曲を何度も聴いているうちに(閑人なんです)
この主人公の女性が、イメージとともに
忽然と姿を現し、やがて音もなく去って行きました。
ピアソラの作品には、創作意欲を与える力があります。
            文化の日に・・・昼寝ネコ
 
 

  • 昼寝ネコさま
    包みの中には遺品があるのでしょうか?それとも遺言状?こんなの如何ですか?
    Que sera sera
    Demain n‘est jamais bien loin
    Laissons l‘avenir venir
    Que sera sera 
    Qui vivra verra
    遺言状だったのです。
    映画「知りすぎていた男」より -- パシリーヌ 2014-11-04 (火) 20:59:16
  • パシリーヌさん
    包みの中に何が入っているか?金曜日の男は、明らかに考えすぎているのです。いつもチキンを買う彼のために金曜日の女は、トリの唐揚げ、チキン竜田揚げ、親子どんぶり、チキンソテーなど、要するに鶏肉を使ったレシピ集をファイルして入れていただけなんですよ。いつか開けてみて、苦笑いすること請け合いです。 -- 昼寝ネコ 2014-11-04 (火) 22:31:21
  • 昼寝ネコさま
    「あゝ 胃袋!」だったんですか。
    ケセラ セラ
    明日は遠くないのよ
    未来はやってくるにまかせましょう
    ケセラ セラ
    生きていればわかるわよ
    こっちの方がいいと思うんですけど…。 -- パシリーヌ 2014-11-04 (火) 22:39:27
  • いつかまた、ピアソラの音楽を聴きながら、金曜日の女が現れたら、何を入れたのかちゃんと確かめてみます。 -- 昼寝ネコ 2014-11-04 (火) 22:44:35
  • 昼寝ネコさま
    えっ、あの世まで聞きに行くのですか?本棚の一角から取り出して開封すれば済むことでしょうに…。(開封しないのは礼を欠くかも?) -- パシリーヌ 2014-11-05 (水) 06:40:52
  • パシリーヌ様
    私は金曜日の男ではありませんので、手を伸ばして包みを開けることはできないんです。包みの中が何だったのか、あれこれ想像するのは読者の自由であり、それが作品の余韻になってくれればいいと思っています。ハリウッド映画の結末は、大体はっきりしているようです。でも、記憶に残っているフランス映画やイタリア映画は、終わりが始まりであり、始まり以降のストーリーは、観客の想像に委ねられています。本でいえば、読者が業間を読んで新たな世界を構築することができます。そのような構造の作品は、なかなかいいなと思っています。別に真似た訳ではありませんが。 -- 昼寝ネコ 2014-11-05 (水) 10:18:27
  • 昼寝ネコさま
    「鶏肉のレシピ」だと答えていませんでしたか? -- パシリーヌ 2014-11-05 (水) 11:05:30
  • パシリーヌ様
    パシリーヌ様はひょっとして、司法関係者の方ですか?まるで鬼検事のような鋭い質問ですね。尋問に耐えられるような明確な記憶はありません。何せ、幻影のようなイメージをかろうじて文章にしただけですので。刑事も民事も責任は問われないと思いますが。 -- 昼寝ネコ 2014-11-05 (水) 11:14:33
  • 昼寝ネコさま
    確かに執拗でした。この物語には謎が多すぎるからです。その女、もともと病気持ちだったのか、死ぬはずが無いのに死んでしまった。相続人でもないのにその男に何か得体の知れないものを遺品として残して逝ってしまった。 -- 鬼検事パシリーヌ 2014-11-05 (水) 14:23:34
  • パシリーヌ様
    人間という生き物は、常に理論的に生きているわけではなく、目に見える部分で全てを把握できるわけでもありません。意思表示にも葛藤が伴い、全てを明かすにもためらいがある・・・そのような曖昧さを通して描かれる世界こそが、創作作品の本質だと思います。 -- 昼寝ネコ 2014-11-05 (水) 14:50:36

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