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2014.12.06 エッセイ「落穂拾い モーセの律法3000年の教え」投稿者:歩く人
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落穂拾い モーセの律法3000年の教え
 
 
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 ジャン=フランソワ・ミレー。キリスト教国フランスの画家です。今年はミレー生誕200年、ところどころの美術館で記念のミレー画展示会が開かれました。府中市美術館でも9月から10月に催されたので鑑賞する機会を得ました。85点もの画に圧倒され、ミレーの時代にいるかのような時間を過ごした空間でした。今まで知らなかったミレーの生涯・人柄にも感動。ミレーといえば「種をまく人」「落穂拾い」が一般にも広く知れわたっており、ともに1枚だけでなく数枚が描かれています。「落穂拾い」も油絵(1852年作)とエッチング(1855−56年作)が展示され、油絵はミレーで有名な山梨県立美術館からの出品で「落穂拾い 夏」でした。
 落穂拾いとは、収穫後の田畑に散らばる稲穂や穀物の茎穂を拾う作業。私は美術館の売り場でここに掲載の1857年作「落穂拾い」のB5サイズ版を買い、パソコンの合間、チラリチラリと眺めています。
 さて「落穂拾い」を観ていると、旧約聖書の「ルツ記」が思い浮かびます。そう、ルツの夫も義姉オルパの夫も姑ナオミの夫も、モアブの地でともに妻より早死にされて女三人が残された。オルパもルツもモアブ人です。ナオミは一人で出身のユダに帰ることを決め、二人の嫁に実家の母の所に帰りなさいと諭すが、ルツは承諾せず
「… あなたを捨て、あなたを離れて帰ることを私に勧めないでください。わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神は私の神です… 。ナオミはルツが自分と一緒に行こうと、固く決心しているのを見たので、そのうえ言うことをやめた」(ルツ1:16-18)。年老いたナオミを一人にするわけにはいかない、私が面倒を見なくては、というルツの思いやりの愛が感じられます。
 ベツレヘムに着いたナオミとルツには耕す土地も仕事もない。時は大麦・小麦の収穫の季節でした。生活のためナオミの親戚のボアズの農場で落穂拾いを始めたルツ。年老いたナオミにはきつい労働の落穂拾いは無理だったのでしょうか。「ルツはボアズに『どうぞ、わたしに、刈る人たちのあとについて、束のあいだで、落ち穂を拾い集めさせてください』と言いました。そして彼女は朝早くきて、今まで働いて、少しのあいだも休みませんでした」(ルツ2:7)。
 モーセの律法に「あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈り入れの落ち穂を拾ってはならない。あなたのぶどう畑の実を取りつくしてはならない。またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。貧しい者と寄留者とのために、これを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である」(レビ19:9-10)。「あなたが畑で穀物を刈る時、もしその一束を畑におき忘れたならば、それを取りに引き返してはならない。それは寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。そうすればあなたの神、主はすべてあなたがする事において、あなたを祝福されるであろう。…… あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったことを記憶しなければならない。それで私はあなたにこの事をせよと命じるのである」(申命24:19-22)。
 ミレーは農家の長男です。父の死後、家を継ぐべきであったが祖母の後押しもあり画の才能を生かす道へ進んだ。ミレーは住まいを数か所替えているが、パリに住んでいた時、コレラが流行したため農村バルビゾン村へ移り住む。でもその頃まで画がなかなか良い値で売れず困窮生活。祖母の死にも旅費がなく葬儀に行けなかった。
 しかし森となだらかな平野に囲まれた美しいバルビゾンに住むようになって故郷と重なる農村風景・生活は、子供の頃から育まれた自然に対する畏敬、身近なものへの慈愛が画に反映されることに。ミレーだからこそ描ける数々の農村風景を手がけて農民画家としての地位を築いていった。
 「落穂拾い」に描かれた見渡す限りの広い農場、手前に大きく三人の寡婦が腰をかがめて落ちている麦穂を拾い集めている。敬虔なクリスチャンの家に育ったミレーの心優しい人柄が貧しい人達の懸命に生きる姿を描いているのです。まさしくルツの情景と同じ農村の風景が3000年以上経ってもキリスト教国では習慣として根付いており、すばらしい慈愛の行動を広く知らしめたのです。画が小さいのではっきり見えないが、三人の寡婦から後方の離れた所に描かれているのは、農場で働く人々が刈り取った麦を集めている。馬に乗った監督者の指示によりうず高く積み上げていた。馬車の荷車にも麦が積まれている。1850年代、ミレーの時代の風景です。
 モーセの律法はイエス・キリストにより成就されたが、一部の教えは引き継がれてきました。また各国にはそれぞれすばらしい教え・しきたりがある。自国にない他国のよい教えは自国にも取り入れ良き発展に繋がればと思う。
 しかしいつまでも手作業の時代ではなく産業革命により、農村も徐々に機械化が浸透。そして現在はコンバインできれいに刈り取られて一粒も残さないのでしょうか。貧しい寡婦たちはどうしているだろうかと案じられる。技術の進歩、発明・発見により高度の利便さを享受している現在、これも神が人に賜った才能が花開いたものなのでしょう。でもそれが逆に寡婦たちを窮地に追い込むことのないように、落穂拾いに代わる支援策が取られ、安らかな生活を保障する制度が広く世界に確立されていることを念じてやみません。
 ルツは、その働きぶりと姑に尽くしていることにボアズにいたく感心された。やがてボアズはルツと結婚することに。そしてその子孫が「ボアズからオベデが生れ、オベデからエッサイが生れ、エッサイからダビデが生れた」(ルツ4:21-22)。
 ナオミと夫がモアブに移ったのはユダの地が飢きんに遭ったためです。いにしえからそして現在も、田畑の作物栽培に従事される方達(酪農家も含め)には本当にありがとうございます。ミレーの「種をまく人」のように、現在の皆様も風雨、高温、冷気、厳しい気象条件に立ち向かい、懸命に養い育て、収穫され、私達の食卓を潤してくださっていますことに感謝申し上げます。
 
 

  • 投稿を有難うございました。
    ミレーに関しては、名前しか知らなかったのですが、こうして説明されると不思議と親近感を覚えます。下積みの苦労を重ねた上での作品なんですね。
    落穂拾いは、文中でご説明されているルツとボアズのエピソードが印象的ですね。この二人の末裔としてダビデが生まれたことを、恥ずかしながら今年見つけました。旧約聖書は一番好きな聖典ですが、なかなか長大ですので読みながら薄れていますので、こうしてミレーとの対比で説明していただいたおかげで、さらに印象深く思えるようになりました。 -- 昼寝ネコ 2014-12-06 (土) 23:32:24
  • 歩く人さま
    文章だけでなく、あなたさまの写真撮影が優れているのはこうした時空を超えた芸術作品からの受け継ぎでもあったのですね。私もルツ記が好きで(フォーラム穀粒命名のいわれで表明)特に「落穂拾い」と「晩鐘」が好きです。以前、同じように山梨県立美術館で見ました。ミレーについては敬虔なクリスチャンということぐらいしか知りませんでしたが、こうして解説して頂くと更に作品を通してアーティストのスピリットを感じ取ることができました。ありがとうございました。 -- パシリーヌ 2014-12-07 (日) 17:08:17

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