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15011601柳田聰子・吉田憲博

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2015.01.16 自分史・家族史「初期の日本の扶助協会」  投稿者:柳田聰子(追補・吉田憲博)

モルダウ「わが祖国」より

初期の日本の扶助協会 (修正抄録後)
 
 
柳田 聡子吉田憲博が修正編集抄録 2014.4.21)
            *吉田憲博・教会歴史カントリー・アドバイザー

終戦後の1948年に伝道が再開され、名古屋では1950年の1月第一日曜日に支部が開設されました。
姉妹宣教師が赴任され、女性ばかりの集会が開かれました。宣教師支部長のウェイン・R・ハーレン長老は「組織が出来ていないから婦人会と言いましょう」と言って、その集会を姉妹宣教師フィロメナ・アンドラデ姉妹に任せました。
この会にはテキストは無くて、内容は部屋の整頓の仕方、食器棚の整理、福音に関する質問、応答、その他お料理(安くて美味しいビフテキ、クッキー、ホットケーキの料理、テーブルマナー等)。教会堂が無い時代のため、集会場所はほとんど姉妹宣教師の下宿の部屋でした。オーブンが必要な時は柳田家の卓上コンロの上にのせる上乗せ天火を持ち込んでやりました。まだ敗戦日本の食料も貧しい頃でしたから、扶助協会で学んだ後に家庭でお菓子を作ることは子供達にとっても楽しい習慣となりました。出席者は年齢に関係なく、高校生や主婦が5~6人は集まりました。狭い場所、不便な道具などでも家族的な雰囲気で、愛を育てるにはよい環境だったと思います。
その後1951年春、愛知県地方部大会(名古屋支部と鳴海支部)で扶助協会が正式に組織されました。東京でも女性の会を持っていたけれど、正式に組織したのはもう少し後になりました。フィロメナ・アンドラデ姉妹とウェイン・R・ハーレン支部長のお蔭であると思います。そして続けてバイナル・G・マース伝道部長の娘ペギー・マース姉妹の助けを頂いたお恵みのためです。
扶助協会には活動として仕事会があり、家事一切の技術を学びました。当時宣教師の長老たちは伝道任期が3年間でした。それで宣教師の服はボロボロになり、ズボンの継ぎ当て、お布団の縫い直し、洗い張り、綿の打ち直し、仕立ては、扶助協会の仕事になりました。
1950年代当時の扶助協会のスケジュール
第1週   神学:福音(聖典)  
第2週   社会科学:歴代大管長会など
第3週   仕事会:後のホームメーキング
第4週   教養:文学的な勉強
これはアメリカのワードと同じスケジュールでした。
アメリカの扶助協会では独自で雑誌を毎月出していて、詩歌コンテストを毎年行って誌上に発表していました。それに倣って日本でも詩歌を集めて少誌を作った地方部もあります。
1962年ポール・C・アンドラス伝道部長により西中央地方部RS会長に柳田聰子姉妹が召されました。東中央地方部も北海道地方部も沖縄地方部も次々召されましたが、これが日本全部の地方部でした。各地方部の所属支部は、初めは下記のように少なかったのです。
○西中央地方部:名古屋、金沢、小松、京都、岡町、阿倍野、三宮、岡山、広島、柳井、福岡、(以上11支部), 会長―柳田聰子
○東中央地方部:東京東、東京西、東京南、東京北、東京中央、仙台、山形、群馬、新潟、群馬、甲府、松本、(以上12支部)、会長―山田明(トシ)
○北海道地方部:札幌、小樽、旭川、室蘭、(以上4支部)、 会長―松下承子(2代目)(熊谷たま乃が初代)
○沖縄地方部・・・・那覇、普天間、(以上2支部)、 会長―宮良豊子            
1964年ドゥエイン・N・アンダーセン伝道部長により柳田聰子姉妹は北部極東伝道部扶助協会の会長に召されました。
当時は扶助協会テキストの翻訳が間に合わなくて、日本で作って進めるように伝道部長夫人から言われて、会長会(その時は、柳田聰子会長と第一顧問の八木沼節子姉妹の二人だけ)は相談して一冊のテキスト(一年分)を作りました。全部中央管理会の承認を受けるために英訳してアメリカに送りました。承認を早く受けるために、数年前の神学と社会科学の英語テキストを使用し、仕事会と教養を日本独特のものにしました。家庭訪問メッセージも以前のものを使いました。 このテキストは更にそれから数年たって繰返して使いました。日本の教会管理本部も翻訳が間に合わなかったのです。
伝道部は1965年にアドニー・Y・小松伝道部長となり、1968年にウォルター・R・ビルス伝道部長とエドワード・Y・岡崎伝道部長に変わって、日本伝道部と日本沖縄伝道部に分かれて、二つの伝道部となり、柳田聰子は日本沖縄伝道部の扶助協会会長として、チエコ・N・岡崎姉妹のご指導を受けるようになりました。ウォルター・R・ビルス伝道部長の伝道部では佐藤栄子姉妹が会長として召されました。
予算については、扶助協会は独立していて、特別な方法をとっていました。18歳以上の女性会員は自動的に扶助協会の会員になり、一年間の会費は一人30円でそのうち20円は伝道部の、5円は地方部の、5円が支部の扶助協会の予算となりました。地方部や支部はバザーやお弁当などで資金を集められるけれど、伝道部は資金を作ることが出来ないので、この一人20円がすべての活動費となりました。
神権者は予算の中からいただけるので、北海道や沖縄の大会に訪問するのも飛行機が使えましたが、扶助協会には資金がその会費だけなので、夜行列車や連絡船を使って訪問しました。沖縄などは大会出席に往復1週間くらいかかりました。
最近の教会の発展は素晴らしいです。バザーや食事会やコンサートの切符を売る予算のための活動はしなくなりました。大きな変化です。神殿も沢山できてきました。どんな状況にあっても、主に従い、指導者に従い、熱心に働くならば、神様は祝福を与えてくださることを、自分で体験して、よくわかります。全能の神様は私達を見ていらっしゃることをいつも感じて感謝しています。救い主のみ名により証します。アーメン。
 

  • 貴重な資料の投稿を有難うございます。懐かしいお名前がたくさんありました。 -- 昼寝ネコ 2015-01-16 (金) 15:36:51
  • 吉田憲博兄弟
    先達の弛まぬ足跡の上に今日の繁栄があることを感謝してもしきれません。歴史の「知識はそれ自体で力である」(フランシス・ベーコン)ことを若者たちに知ってほしいと思います。 -- 岸野みさを 2015-01-16 (金) 19:13:11
  • 吉田憲博兄弟
    家族歴史と同じように、私たちが所属する教会の開拓者たちが苦労して築いてきてくださった歴史を知ることにより、自分がその歴史の中の一部であり、神様の真実の福音の中で生きていくことへの勇気と希望を持つことができ、しっかりとした証へとつながっていきます。ありがとうございました。
    -- 丸山幹夫 2015-01-17 (土) 10:30:32
  • 柳田姉妹、吉田兄弟懐かしい歴史を有難うございました。柳田姉妹が北海道を訪問して下さった折我が家に泊まって下さり、資金調達や扶助協会の運営方法など夜遅くまで話会ったのを思い出し、土台が出来たのでしょう感謝しています。現在はとても恵まれていますがその分姉妹たちの救いに力を注ぐように助け合って行かなければなりませんね。神様
    は姉妹達に家族を救いに導く力を与えて下さっています。開拓者に感謝しながら、これからも皆で力を合わせて頑張りましょう。良い安息日が過ごせますように。ありがとうがざいました。 -- 松下 承子 2015-01-18 (日) 07:13:05

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