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- 2015.08.15 自分史・家族史「戦後70年に寄せてー焼野原から70年経た転換点」 投稿者:岸野 みさを

信州の田舎育ちの私の戦争の記憶は灯火管制とB29の爆音だった。父はマラソンの選手で痛めた足が原因で2度の徴兵検査に合格しなかった。その代わりかのように彼の愛馬が赤いタスキを掛けられて戦場に送り出されて行った。

戦後、ジープに乗ってくるアメリカ兵に気をつけるように親から言われて、当時5歳だった私はジープが怖かった。あるとき祖母と病院に向かう途中で車のエンジン音が聞こえてきたので私は道路わきの土手まで駆け上がった。祖母は「大丈夫だから」と笑いながらあきれ顔で言ったことを覚えている。

隣家の本家の屋号は「穴坪」といった。実際その家は隠れるように奥まった地形にあった。そこのおじいさんが杖を突きながら見晴らしのきいた私の家の前に出てきて「戦争に負けたら青木湖に飛び込んで死ぬ」と私ら子供にまで口癖のように言っていた。隣村に青木湖、木崎湖があった。おじいさんがその後どうなったのか記憶にないが、青木湖に飛び込まなかったのは確かだ。

農家だったので食べ物でひもじい思いはしなかったが、お菓子や甘いものは全くなかった。蛋白源は鶏の卵や飼っていた山羊の乳だった。母の実家に母と一緒に里帰りすると祖母が長い麺棒を使ってトンパタとうどんを打ってくれた。ぐらぐら煮え立つ大鍋でゆでて、ツルツル食べるのが好きだった。私はくるみのたれで食べるのが好きだった。それに薄茶色の砂糖を湯で解いて湯呑に入れて出してくれた。甘くて美味しくて自分の家では一度ももらったことが無かった。底の方に砂糖が残るのだがそれをスプーンですくって食べた。もしかしたら指だったか、記憶が定かではない。

6、7歳の頃、親は隣村の田圃に出かける時私にお昼の弁当を用意して留守番をさせた。ある時、病気の時飲んだどろりとした水あめのような甘い神薬(と親が言っていた)を見つけて、1回舐めて2回舐めて、3、4回と舐めてとまらなくなり、とうとう1瓶なめてしまったのだ。帰ってきた母はびっくりして体に害がなければいいが、と言ったが叱られなかった。今でもその薬があるかと思ってググってみたら(googleで検索すること)小さな濃紺の綺麗なガラス瓶で25g入りが検索できた。瓶に神薬と言う文字が浮き上がっている。現在はガラス瓶ではなくチューブ入りだそうで中身も異なるらしい。
話は変わるが中国人の日本に於ける爆買いリストには12種類の神薬が並んでいるそうだ。

留守番といえば6歳(で留守番とは今の時代では考えにくいが)の頃可笑しな事件があった。戻ってきた家族が「みさをが居ない」と大騒ぎして探し回った。相当な時間が経ってから「あっ、いた!」と私を見つけてくれたのは私より5歳上の父の妹だった。私はなぜか家の庭先に向いた縁の下にある鶏小屋に入っていたのだった。皆の声が聞こえていたのに出て行かなかったのは大をしてしまっていたからだった。(汗)

来年は1年生という時の小学校の運動会では25mくらいのかけっこがあった。よういドンで走って行き途中に置いてある物を拾って、またゴールまで走るのだが、途中に置いてあったあるものは新聞紙の袋に入っていた湯で栗数個だった。今はこうした未就学児の為のプログラムはないようだ。

私は戦後の民主教育を受けたので教科書の所々が墨で黒く塗りつぶしてあるようなものは知らない。「鬼畜米英」という言葉も聞いたことがない。度々聞かされたのは「昨日の敵は今日の友」という言葉だった。事情が変われば敵も友になるのだと子ども心になんとなくその意味が分かったように思う。しかし、「日本は大東亜共栄圏という幻想に踊らされて侵略戦争をした。戦争を終わらせるのに原爆を投下されたのは仕方がない」と教育された。占領軍GHQのWGIP(War Guilt Information Program)(戦争への罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画)による日本統治は効を奏し、自虐史観が真実の歴史であるかのように国民を支配した。その「思想戦」は今日にまで続いている。戦後70年が経ってもマインドセットが解かれていないところへ1992年、朝日新聞の誤報からはじまった日本の戦争責任に対して周辺国のブラックプロパガンダが付け込み、侵略、植民地支配、南京大虐殺、強制労働、慰安婦20万人の性奴隷は天皇からの贈物、と国連を初めとする国際社会に悪意に満ちたデマゴークの認識が拡散されて定着した。教科書にまで書き込まれて反日の種を子孫にまき散らしている。中国は力による現状変更を公然と誇示し、太平洋を二分して米中が各自の領域を守る、と国防費を削減した米国に新型大国関係を迫っている。阿部晋三首相の目指す戦後レジーム(戦後体制)からの脱却は並大抵のものではない。だが私たちが一個人である前に一日本国民であることを覚醒しその責任を自ら学び果たすならば、それは国を推進していく大きな原動力となる。今からでも遅くはない。自民党による「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」が、そのように定着している国際社会の日本に対する誤った認識を正す提言を安倍首相に提出された。

先ほど閣議決定した戦後70年安倍首相談話が発表された。「戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と強調されたことが特に印象的で理にかなっていると思った。謝罪外交の終止符は過去の談話にはなかったものだ。数日前、韓国で土下座パフォーマンスを行い「相手国がもういいと許可するまでおわびを続けるべきだ」と述べた元総理がいる。であれば、1000年間続けなければならないことになる。「歴史を謙虚に見続ける」ことをするのは、大戦後最後の世代となった20%の私たちの使命だと思う。10代から20代に対するアンケートで8月15日が何の日か答えられたのは50%だという。

中学1年になった孫は誰が教えたのでもないのに、4年生頃から日清日露戦争に興味をもち、横須賀にある100年前の日露戦争の旗艦「三笠」を祖父と見学に行った。8月5日のニュースでアメリカ兵によって持ち去られた三笠の軍旗が返還されるという。また、彼は一昨年、靖国神社遊就館で行われた「大東亜戦争を語り継ぐ会」に出席した。親や周りが何も教え込んでもいないのに、何故か生まれながらの保守で、その思いには英霊が宿っているのではないかといぶかしく思う。夜寝る時は誰も勧めていないのに軍歌をイヤホンで聞きながら寝るのだ。「航空百日祭」が一番好きだという。軍歌に興味をもった事の始めは世界で最も有名な行進曲「旧友」を見た時からだ。2位は「星条旗よ永遠なれ」3位が「軍艦行進曲」だ。彼がカラオケマシーンで軍歌を歌うと得点は97点と高い。歌が上手な5年生の長女でさえ60点台なのだが。次女は「月月火水木金金」を歌う。曜日の歌だと思っている。

そのような孫の不思議に連動するかのようにママは2年前から政治活動に参加するようになった。8月2日の「日本政策研究センター」主催「明日への選択」首都圏セミナーに参加し「戦後70年こそ『日本覚醒』のチャンスー憲法改正の根本問題」というテーマで学んできた。私は話を聞くと同時に配布されたプリント12ページを受け取った。その中の幾つかを抜粋してご紹介したい。

(1)「安保法制」論議を再整理する
①「戦争をしない国」の指し示す平和観、国家観とは
●全く無意味な「平和」観。却って秩序破壊を助長する。
  ※五百旗頭真氏(外交史家・熊本県立大学理事長)
  「冷戦後に北朝鮮が核とミサイルを振りかざし、中国が軍備拡大を猛然とやっている。
  中国は、日本の領土である尖閣諸島を奪い取ろうと行動を起こし、南シナ海では実効支配を進める。それをどう抑制するかが、今問われている。『私は戦争をしない』では答えにならない。中国に自制させる方途を見出さなければ、平和は保てない。(読売新聞・7月19日)
●「存立」の危機にあっても「戦争しない国」なのか
 ※安保法制では「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」があった場合、限定的に集団的自衛権を行使できるとされているが、それへの反対論として「戦争をしない国」が叫ばれている。ならば、日本の存立が脅かされても「戦争をしない」と言うのだろうか。
●「戦争をしない国」とは戦争をしかけられても抵抗しなければ「平和」は維持されるという平和観(奴隷の平和)という他ない。それは「自衛権すら行使しない国」と言わざるを得ない。
②問われない「国民」のあり方
●安保法制反対論としての「徴兵制」
  ※民主党パンフ「いつかは徴兵制?募る不安」
●「では誰が国を守るのか(防衛を担うのか)という根本命題は語られない。
③何が欠落しているのか……キーワードは「国家の存立(存続)」

(以下詳細は割愛)
(2)「現実の危機」は「国家存続」の危機
(3)憲法を根本から問い直す
(4)憲法改正運動の課題
      …憲法改正を進めていく中で何を論じるべきなのか

安保法制・9条改正反対論に対する論破のポイント
反対論1 「集団的自衛権に関する憲法解釈の変更は憲法違反だ」
〔論破のポイント〕
●そもそも自衛権は主権国家に認められる国際法上の固有の権利である。
しかも国連憲章第51条が認める自衛権には、個別的自衛権とともに集団的自衛権も含まれる。
●憲法第9条は自衛権を否定していない(むしろ最高裁は「自国の平和と安全を維持し、存立を全うするために必要な自衛措置を取り得ることは、国家固有の権能の行使として当然」と判示している)
●今回の集団的自衛権に関する憲法解釈の変更は、従来の政府見解の枠組みを踏まえつつ、日本を取り巻く国際環境の変化に合うように是正したもので、自衛権を否定していない憲法に抵触しない。
≪補足≫
*従来の集団的自衛権をめぐる解釈は、その保有を認めつつも、行使は憲法が許容する「必要最小限」の自衛措置の範囲を超えるとして、「持っているが、行使できない」とした。しかし、なぜ「必要最小限」の範囲を超えるのか、「必要最小限」の範囲を超えない行使があるのではないかという批判が寄せられてきた。
*今回容認される集団的自衛権は「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」がある場合に限られ、その目的はあくまで我が国と国民の安全確保にある。他国の戦争に自動的に参戦する類のものではない。
*集団的自衛権の行使は違憲どころか「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」(前文)「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」(9條1項)などの憲法の精神に合致する。
*「違憲」と断ずるからには、従来の政府見解の枠ではなく、憲法の枠を超えることの説明が必要だが、そうした説明を反対派はしていない。むろん、これまでも政府の憲法解釈は時代の変化に応じて変わってきた。
反対論2 「安保法制が改定されると、自衛隊員のリスクが高まる」
〔論破のポイント〕
●そもそも自衛隊は、リスクや犠牲を前提として日本の独立と安全を守るための国内唯一の組織であること、また今回の法制によって国民のリスクが下がることをこの種の反対論は見落としている。
●この種のリスク論は自衛隊員に一見配慮したように見えるが、服務に当たり「事に臨んでは危険を顧みず」と宣誓し、我が国の平和と独立を守る崇高な覚悟で職に就いている自衛隊員への侮辱以外の何ものでもない。
●こうしたリスク論を強調している人々は、かつて自衛隊違憲論を説いて、自衛隊を貶めてきた人々と重なる。その意味でこの種のリスク論は、安保法案にケチをつけるための為にする論ともいえる。
≪補足≫
*そもそもリスクや犠牲の負担を嫌う者は自衛隊に入隊しない。また自衛隊は世界で唯一、自由にやめられる組織である。
*PKOなどの国際協力活動においては、自衛隊の任務と権限との従来の溝が埋められ、リスクが下がることが期待される。
反対論3 「9条を改正すれば平和主義の理想を捨てることになる」
〔論破のポイント〕
●そもそも9条には、戦争放棄を定めた1項と、戦力の不保持を定めた2項があるが、国際常識的な意味での「平和主義」に該当するのは1項の方である。
●戦力の不保持を定めた2項は、世界に例のない特異な条項である。と同時にそれは、今や大半の国民が支持する自衛隊を「憲法違反」だとして貶めてきた反自衛隊論の論拠ともなってきた。
●現在の9条改正論は、平和主義を定めた1項の改正ではなく、あくまで自衛隊の存在を憲法に明確に位置づけるための2項の改正を求めるもの。2項改正は平和主義を捨てることを意味していない。
≪補足≫
*何らかの平和主義条項をもつ憲法は158カ国に上るとされるが、それらの国の大部分が軍隊を保有する。その意味で9条2項改正によって、日本は「特異な平和主義」を脱し「普通の平和主義」になると言える。
*9条2項の淵源は占領軍の非武装化政策(日本弱体化政策)であり、平和主義とは無関係。「初期対日方針」は米国の「究極の目的」を「日本国が再び米国の脅威とならざることを確実にすること」と定めていた。
*9条1項が規定する「正義と秩序を基調とする国際平和」は、無抵抗、無防備主義ではない。「正義」と「秩序」を維持するには「力」が必要でありその意味で1項と2項は本質的な矛盾を抱えているとも言える。
反対論4 「9条が平和を守ってきた。9条を改正すると日本は『戦争をしない国』から『戦争をする国』になる」
〔論破のポイント〕
●戦後日本の平和は自衛隊と日米安保条約に基づく抑止力によって守られてきた。(平和だったからこそ9条も維持された)。
●「戦争をしない国」は結構だが「戦争をしない」ためには、自ら戦争をしないだけでなく「他国からの侵略を許さない国」、つまり、十分な抑止力のある「隙のない国」となることが不可欠。しかし、9条2項はそれを妨げている。
●9条2項を改め、自衛隊が諸外国同様、国際法に基づき自衛権を行使できる「普通の軍隊」となることによって我が国の抑止力が高まり、我が国は初めて「戦争をしない国」となることができる。
≪補足≫
*9条2項を改めて、軍隊の保有を憲法に明記すると「戦争をする国」になるなら、世界のほぼすべての国が「戦争をする国」ということになってしまう。
*戦争をする国や「戦争放棄」といった「戦争」という言葉を冠した物言いは、日本人の戦争アレルギーに付けこみ、思考停止に陥らせるための国民をバカにした狡猾なレトリックである。
反対論5 「9条を改正すると自衛隊の志願者が減って、徴兵制が復活する。あなたの子供や孫、多くの若者が戦場に送られる」
〔論破のポイント〕
●この種の反対論は国民の不安を煽るための全く根拠のないデマ宣伝に過ぎない。
●ハイテク化した現代の軍事組織にとって徴兵制は無用の長物と化している。徴兵制で集めた若者は「手足まといでしかない」というのが現場の素直な見解でもある。
●実際、アメリカを初めとする先進7カ国に徴兵制の国はない。その他の国々も徴兵制から志願制へ移行しつつあるのが世界の潮流。
≪補足≫
*前述したように、自衛隊員は国を守るために危険を顧みない崇高な覚悟で職についており、9条を改正すると志願者が減るとの決めつけは根拠がない。
*子や孫が自衛隊に入らなくとも、国民の誰かが国の安全と独立を守るためにリスクを伴う任務を引き受けなければならない。そうである以上、自衛隊に国軍としての地位を認め、しかるべき栄誉と処遇が与えられるようにするのは、国民と政治の当然の務めと言うべきである。
〔反対論6〕「戦争は嫌だ。戦争にいい戦争は絶対ない。全ては人殺し」
〔論破のポイント〕
●好んで戦争をしようとする人はいない。その一方で、各国は軍隊を保有し、憲法に「国防の義務」を定めるなど、自衛のための「構え」を備えている。結局世界には中国や北朝鮮など、戦争のメリットがデメリットを上回ると判断した場合、武力に訴える危険な国家が存在するからである。
●現在の安保法制整備や9条2項の改正は、そうした危険な国家に対する我が国の抑止力を高め、戦争を防ぐための「構え」と言える。
●こうした自衛の「構え」を阻もうとするこの種の反対論は、一見平和を求めているようでも、その実我が国の尖閣諸島を狙う中国の野望を助長し、戦争を誘発せしめる「危険な妄言」に他ならない。
(詳細は「なぜ今、憲法改正が必要なのか」400円(株)日本政策研究センター www.seisaku‐center.net TEL03-5211-5231)

  • 岸野姉妹、投稿ありがとうございます。
    政策に興味を持ったことのない私にはなかなか難しい話ですが、「海行かば」は昔から聞いていて好きです。そして私はアンタイニーファイリーハイの民が好きです。 -- downy 2015-08-17 (月) 17:15:15
  • downyさま
    確かに彼らは武器を地に埋めて戦いを放棄し殺されるままになりました。しかし彼らの子や孫は攻め込まれたとき武器をとって闘いました。万が一にもその様な事態に直面したとき、わたしたちはどちらを選択するのでしょうか? -- 岸野みさを 2015-08-17 (月) 19:35:59
  • 武器をとらないで甘んじて死を選ぶ先祖たちの中にはニーファイ人に申し訳ないと武器をとろうとした人たちもいて、そこでまだ誓約を交わしていない若者たちが立ち上がったとされていますが、守るべきは何かという問いに戻ってしまいますね。誓約を交わした大人たちは武器を捨てることを選び主に帰依し、若者は家族を守ろうとした。正解はたくさんあると思います。聖典を読む機会に心から感謝します。 -- downy(ふわふわの) 2015-08-18 (火) 05:30:34

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