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2015.09.09 エッセイ「それで人はその父と母を離れて」投稿者:岸野 みさを

どちらかというと目立たない男女の披露宴に出席した。生い立ちから結婚に至るまでのストーリーをビデオで紹介していた。二人共家族や友人、伝道仲間という多くの人々の中で成長してきた記録写真が印象的だった。スカイツリーでの二人のデート写真もあった。ニコニコしていてほんとに嬉しそうだ。

「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」(創世記2:24)

永遠のご結婚おめでとう!

「お互いのどこが好きになりましたか?」という司会者の質問に新郎は「疲れていても愛を示してくれる」新婦は「彼は努力の人です」と。この二人であれば40年後でも同じ言葉を告げるのではないだろうか。新婦のご両親への感謝の言葉が会場をシーンとさせた。中学生で実母を失った彼女にとっての再婚の「ママは、美味しいお弁当を作ってくれました。友達が『美味しそう』というので分けて食べました。健康に気を遣ってくれるママに感謝します」と。また父からは勤労の厳しさを学び、祭日には子供たちを連れて八王子まで出かけてくれた思い出を語っていた。驚いたことに新婦は最後に新郎の両親に「未熟者ですがこれからよろしくお願いします」と述べ
たのである。数え切れない披露宴に出席してきたが、そこまで気持ちが行き届く新婦を見たことがない。純白のウエディングドレスに包まれた姿がひと際眩しく輝いていた。

新郎は祖母に感謝の言葉を述べていた。「色々お世話になりました。特にズボンの丈を詰めてくれてありがとう」だった。ズボンの丈を詰めるのは彼にとっては難儀だったのだろう。

余興もあって30人くらいの子供たちが集められ新婦とジャンケンをして勝った子供にプレゼントがあるのだ。「勝った!」と言って次男(私の孫)がキャンディーをもらってきた。子供たちも参加できることが嬉しそうだ。気負いのない披露宴で「こういうのいいね」と私の娘がしきりに繰り返していた。子ども4人を育てている娘夫婦は前述のようなお互いに対する愛と感謝の言葉を発しているのだろうか?

ゼリーやババロア等と共に新郎の好きなドーナツと新婦の好きなアボガドサラダがふるまわれた。新郎の母が「預言者たちの好物」をそのレシピに従って作って以来、新郎はプリガムヤング大管長の好物であるドーナツが大好きになったそうだ。
パーティーに沢山のドーナツがあったが、彼の母は「我が家での最後のおやつ」として娘たちが揚げて「我が家の味」として伝えてほしいという願いを込めたという。

喜ばしい席で何だが、これは、ある女性の告別式で本人が好きだった料理がふるまわれたことがあり、それ以来のサプライズとなった。アボガドサラダはさっぱりして偏食の次女(私の孫)はおかわりをしていた。

若い女性や若い男性が同じ黒色のエプロンをしてウエーター、ウエイトレスをしている。孫の5年生の長女を捜したが見当たらなかった。するとなんと司会者が「ここでウエディングケーキの入場です」と発表したのだ。ウエディングケーキも新郎新婦並みに入場となった。ランラララン、ランラララン、ランララランララランラララン、ドアーが開いて、ケーキをキャスターごと運んできたのは5年生の孫と二人の小さな男の子だった。上に高いウエディングケーキではなくて平たいケーキだった。高尾ワードの名物ケーキ屋さんのファリーヌのものだ。(穀粒記者レポート2014.3.25「命のパン職人」に詳細あり)

日曜学校で青少年のクラスの教師をしていたとき新郎は生徒の一人だった。

マタイの13章でキリストが7つの譬え話をされた中の1つで種まきの話(マタイ13:1-23)をした時、「…よい地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった」すると新郎は突然「100倍がいい!」と息込んで発言したのだ。これは御言を聞いて行う人と行わない人の差異についての譬え話で「また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」(マタイ13:23)信仰の受け入れ方に差があるように収穫量にも差が出て来るのである。

百倍の収穫を目指しているというのはそれだけでも力強い望みであると心打たれた。

また、あらゆる武器を地中深く埋めて殺されるままになっていたアンタイニーファイリーハイ人の箇所のレッスンでは(アルマ24:16-27)「ところでレーマン人は、自分たちの同胞が剣から逃れようとせず、右にも左にも身をかわそうとせずに、伏したまま死のうとしており、剣に倒れるその最中でさえ神をほめたたえるのを見て…」とありますが、と私は言った。人には生存本能があるので剣を振り下ろされそうになった時、『右にも左にも身をかわそうとせず』ということができるのでしょうか?と生徒に質問すると新郎は「僕はできます」と言った。「えっ?本当?じゃあ、やるわよ」と調子に乗った私は手にしていたノートを彼の頭の上に振り下ろしたのだった。(なんちゅう、教師や)勿論直撃しないようにしたのだが、彼は右にも左にも身をかわそうとせず、目もつぶることなく見開いていたのだった。「えーっ!スゴイじゃない!」クラス全体がどよめいた。彼の迫力に圧倒された私は他の生徒に試してみるまでもなく充分だった。

これは新郎の青少年の頃のエピソードだが新郎を紹介するのにふさわしいと思ったのでここに書き記す。

また、下記の教えを結婚記念のお祝いとしてお二人に贈ります。

「幸福は私たちが存在する目的であり、計画である。またそこへ続く道を歩み続けるならば、それは私たちの存在理由となる。この道は徳、高潔さ、忠実さ、神聖さ、そして神の全ての戒めを守ることである」(ジョセフ・スミス)

「わたしたち,末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会と十二使徒評議会は,男女の間の結婚は神によって定められたものであり,家族は神の子供たちの永遠の行く末に対する創造主の計画の中心を成すものであることを,厳粛に宣言します」(家族―世界への宣言)

  • 10年前に流行った「ハナミズキ」の歌詞の一節に♯君と好きな人が 百年続きますように♭
    とある。死がふたりを分かつまでではなく、百年でもなく、永遠に続く結婚の素晴らしさよ!【結婚生活は長い長い会話である】 -- ひととしてどうよ 2015-09-11 (金) 15:09:16
  • ひととしてどうよ様
    夫婦だけでなく家族が終わりなく続いて繁栄していくことは大きなかけがえのない喜びですね。 -- 岸野みさを 2015-09-11 (金) 18:06:00

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