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2016.03.03 自分史・家族史「キリストの慈愛」 投稿者:岸野 みさを

2016.2.28 聖餐会の話

文字が読めるようになって初めて読んだ絵本が「安寿と厨子王」でした。プライマリーのお友達知っていますか?14歳のお姉さんと12歳の弟のお話です。安寿と厨子王は人買いの山椒大夫のところで過酷な労働を強いられていました。ある日、野良仕事に出た安寿は遠くの山に見えるお寺を指さして弟の厨子王に「あそこまで、逃げなさい」と言いました。「お姉ちゃんは?」と聞く厨子王に安寿は首を横に振って「さあ、早く、追手が来ないうちに逃げなさい」厨子王は泣きながら走り去っていきました。それを見届けた安寿は近くにあった池に身を投げて死にました。無事に逃げ延びた厨子王はやがて成長して領主となって、人買いの山椒大夫一家を取り押さえ、母と姉を捜しました。厨子王は姉が自分を逃がすために池に身を投げて死んだことを知りました。佐渡に渡って母を捜しましたが見つかりません。ある時「安寿恋しやホーヤレホ、厨子王恋しやホーヤレホ」とめくらの老婆があわやひえの穀物に集まってくる雀を竹の棒で追い払っていました。お母さんだったのです。

 読んだのは小学校一年の頃だと思いますが、心に強いものを感じました。それが自己犠牲だと分かるようになったのはしばらく経ってからでした。安寿は弟を逃がすために自分は池に身を投げて死に、追手の足止めをしたのです。「人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)とキリストは教えられました。自己犠牲の根底に在るものはキリストの慈愛です。

 私たちは生まれながらにして善い行いを選ぶことができる良心を与えられています。それはキリストの光であり、その本質はキリストの慈愛です。モンソン大管長のおっしゃった「救い主の模範に従うとき、家族であれ、友人であれ、ただの知り合いであれ、まったく見ず知らずの人であれ、それは他の人々の生活に光をもたらす機会となるのです。(「模範となり、光となる)リアホナ2015.11月号、88」つまり、キリストの光、キリストの慈愛をもたらすことができるのです。

 私は自己犠牲の典型であるような母に育てられ、教会に改宗してからはキリストが全人類の命を救うためにご自分の命を捨てられたことを知りました。贖罪を知りました。

 日々の生活の中での自己犠牲とはそれほどの大げさなことではなく仕えること、神と人に仕えることです。皆さんの誰でもがやっている人の役に立つということです。善い行いを積み重ねていくにしたがって内なるキリストの光は輝きを増し、自分自身が光り輝き、やがて周囲も明るく照らし出します。そうして世の光となっていくのです。教えられている「より善い行い」とは善い行いの更なる上のステージですから善い行いが普通に出来なければなりません。

 昨年は戦後70年のふしめの年でした。内閣府の国政モニターに応募してこの3月末までの一年間国政に関する意見を400字で一ヶ月に2回投稿できました。昨年は日本全国から600名がモニターとして選ばれてその内171名が女性で約3分の1に達しませんが70歳以上の女性では私を含めて5名いました。一ヶ月に1200件くらいの投稿があって
、其の中から100件くらいが内閣府の国政モニターのHPに掲載されます。一番多く寄せられたテーマの順は、子どもの貧困、従軍慰安婦、そしてTPP関連でした。神の善い言葉によって養われている皆さん、末日聖徒は、今年度の募集は終わりましたが、来年の1月20日頃から2月11日まで内閣府が公募しますので、是非応募して、キリストの教えに基づいた意見を発信してください。これもまた世に福音を広めるための伝道の一つのチャンネルであることを証します。


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