16102401逢坂英男
2016.10.24 自分史・家族史「天国への電話」 投稿者:逢坂英男
私が幼稚園に行っていた頃、家族と小さなアパートに住んでいました。
やんちゃだった私は、パチンコ(ゴムの力で石等を飛ばすおもちゃ)で、石を飛ばしてバスの窓を割ったり、坂道を三輪車で走り降りる遊びをしていたら、スピードが出過ぎて人の玄関に突っ込み大けがをしたり、あまりにも言うことを聞かないため、小学生になったばかりの時、教科書やノートを母親に燃やされたり、と今でも覚えていることがいくつかあります。
その中でも忘れられない思い出がありました。
国道を挟んで近所の子どもたちと一緒に鬼ごっこをしていた時のことです。国道の向こうからアパート側に渡った私たちの跡を追って、一つ下の近所の子ども(やっちゃん)がついて来たところ、車にはねられてしまいました。
地面にピクリとも動かない彼と、そのそばで立ち尽くす運転手の姿が今でも思い起こされます。
そこで私の記憶は途切れ、次に覚えているのは近所の彼のお父さんの会社で彼の葬儀をしたことです。
当時の私は彼が天国に行ったと理解していました。
もしかしたら両親にそう教えてもらったのかもしれませんが、とにかく彼とはもう遊ぶことも話すこともできないということは理解していました。
それ以降、私は夜布団に入ると、天国にいる彼とトラックの荷台で踏みつぶしてしまったペットのひよこの様子を聞くために、神様に時々電話をかけるようになりました。私の中には天国があり、そこに神様が住んでいて、亡くなっていた人たちやペットが住んでいるという確信に近いものがありました。
心の中で電話をかけるとまず白い服を来た人が現れ、電話を神様に取り次いでくれました。いつも直接神様に電話をかけることがなく、なぜか白い服を着た年配の人が間に入って、その人に「神様いますか?」と取次ぎをお願いしていたのです。
神様はひげを生やした白い服を着たおじいさんでした。神様は、亡くなった彼が元気でいることやひよこも元気でいることをいつも教えてくれました。それを聞いて安心して、眠る日が多くありました。
歳をとるにつれて、神様への電話をする機会が減っていき、中学生になる頃にはほとんど電話をすることはなくなっていました。
改宗後、幼い時にかけていた電話について考えると、電話の時に間に入っていたのは、イエス様だと気づくことができました。また、霊界は確かにあるものだと理解することができました。
3Ne9:22
「それゆえ、悔い改めて幼子のようにわたしのもとに来る者を、わたしはだれでも受け入れよう。神の王国はこのような者の国である。見よ、このような者のために、わたしは自分の命を捨て、再びそれを得た。それゆえ、地の果てに至る人々よ、悔い改め、わたしのもとに来て救われなさい。」
(10月22日 高尾ワード聖餐会に於けるお話 高等評議員)
- 逢坂英男兄弟
天国への電話がつながって英男少年は安心できてよかったですね。人の改宗への道のりは色々あることが分かりました。 -- 岸野みさを 2016-10-25 (火) 11:32:49