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2016.10.29 穀粒記者レポート・「過去から学ぶ―トーマス・S・モンソン大管長の教え」投稿者:岸野みさを

2008年2月3日から末日聖徒イエス・キリスト教会の第16代大管長として召されたトーマス・S・モンソン大管長は2008年4月のリアホナ大管長会メッセージで「永遠に価値ある宝」のお話をされました。(青文字が抜粋)

わたしは子供のころ,ロバート・ルイス・スティーブンソンの『宝島』を読むのが好きでした。冒険映画も見ました。そのような映画の筋書きは,引き裂かれたぼろぼろの地図の切れ端を何人かがそれぞれ1枚ずつ持っていて,もし全部の切れ端が見つかり,合わされば,埋められた宝への道を示す地図になるというものでした。
………
今日皆さんに差し上げたいのは,皆さんを永遠の幸福に導いてくれる3 枚の宝の地図の切れ端です。それは,次に挙げるものです。
1.過去から学ぶ。
2.将来に備える。
3.今を生きる。
この地図の切れ端について一つ一つ考えてみましょう。
過去から学ぶわたしたち一人一人には受け継いでいるものがあります。それが開拓者であった先祖からであろうと,改宗者からであろうと,人生を方向づける手助けをしてくれた人からであろうとかまいません。この受け継ぎによって据えられた土台は犠牲や信仰によって築かれています。わたしたちにはそのような堅固で安定した土台の上にさらなる受け継ぎを築いていく特権と責任があります。(抜粋終了)

 「過去から学ぶ」ことについてモンソン大管長は度々第二次世界大戦の実録を引用されました。ここにそのいくつかを抜粋して大管長はイエス・キリストの特別な証人であると共に、戦争とその世紀を生き抜いた人々の証人でもあることを証し致します。

  2016年10月の総大会でモンソン大管長は「原則と約束」のお話の中で第二次世界大戦下米国艦船カンブリアの乗組員のジョン・A・ラーセンに神の約束が劇的に成就した実話を話されました。(青文字が抜粋)
 
 フィリピンでの戦闘中に,爆撃機と神風特攻機の大隊が近づいてきているという知らせが届き,直ちに退避するようにという命令が下されました。艦船カンブリアはすでに出港していたので,ジョンと三人の兵士は装備品を集め、浜辺に急ぎ上陸用舟艇に乗り艦船カンブリアの乗組員から投げられたロープに掴まるのですが、長さ12メートルのロープを3分の1もよじ登らないうちに力がなくなり、ロープを握っていられなくなりました。重い無線機を背中にひもで括り付けている状態で、もうだめだと思ったとき、 ジョンは心の中で神に向かって叫び,自分がこれまでいつも知恵の言葉を守って清い生活を送ってきたこと,そして今,自分には約束されている祝福が何としても必要であることを神に告げたのです。

ジョンが後に語っているように,祈り終わると,彼は力がみなぎってくるのを感じました。そして再び登り始め,ほとんど飛ぶような速さでロープを手繰って登ることができました。甲板にたどり着いたときの彼の息遣いはごく普通で,息切れはありませんでした。健康と持久力が加えられるという,知恵の言葉で約束されている祝福が与えられたのでした。そのときだけでなく,残りの生涯を通じて,彼は天の御父に感謝しました。助けを求める彼の必死な祈りに御父がこたえてくださったからです。

2016年4月の総大会でモンソン大管長は「聖なるものを託され」のお話をされました。(青文字が抜粋)

 第二次世界大戦中,一人の友人が南太平洋で従軍していたときに,彼の乗っていた飛行機が海上で撃ち落とされました。彼とその他の乗組員は炎上する飛行機からパラシュートで脱出し,救命ボートを膨らませて,3日間そのボートにしがみついていました。

3日目に,遠く彼方に一隻の救助船が見えました。しかし救助船は行ってしまいました。翌朝,救助船は再び彼らを通り過ぎて行きました。救助船がこの辺りに来るのはその日が最後だということを思い出したとき,彼らは絶望しました。

そのとき,聖なる御霊が友人にこう告げました。「あなたには神権があります。救助隊に救助を命じなさい。」

彼は促しに従いました。「イエス・キリストの御名と,神権の力によって命じる。引き返して,わたしたちを助けなさい。」

数分もしないうちに,救助船は戻って来て,彼らを甲板に引き上げました。忠実でふさわしい一人の神権者が,窮地に追い込まれたときに,自分の命と他の人々の命を祝福するために,神権を行使したのです。

 2015年4月の総大会でモンソン大管長は「神権―神聖な賜物」のお話をされました。(青文字が抜粋)

 わたしは長老に聖任されました。そして,海軍での軍務に就くために出発する日に,ワードのビショップリックの一人が,わたしを見送るためにわたしの家族や友人たちと一緒に駅に来てくれました。そして列車が出発する直前に,小さな本を手渡してくれました。それは『宣教師の手引き』でした。わたしは笑いながら,伝道に行くのではないことを告げました。すると彼は,「とにかく持って行きなさい。役に立つから」と言いました。

実際にそれは役立ちました。わたしは衣服をしっかり固定させ,しわがよらないようにするため,バッグの底に敷く硬い長方形のものが必要でした。『宣教師の手引き』はわたしが必要としていたものにぴったりで,12週間,バッグの中でその役目を果たしてくれました。

クリスマス休暇の前の夜,わたしたちは故郷のことを考えていました。兵舎は静かでした。ところがそのとき,隣のベッドにいた友人によってその沈黙が破られました。モルモンの若者,レランド・メリルです。痛みにうめき始めたのです。わたしが理由を尋ねると,彼はとても具合が悪いと答えました。基地の医務室に行くことは望みませんでした。そうしたら翌日は家に帰れないということを知っていたからです。

時間がたつにつれて,ますます具合が悪くなるようでした。ついに,わたしが長老であることを知っていたので,彼はわたしに,神権の祝福を授けてほしいと言いました。

わたしはそれまで一度も神権の祝福を与えたことがなく,祝福を受けたこともありませんでした。祝福が施されるのを見たこともありません。わたしが静かに助けを祈り求めると,バッグの底に『宣教師の手引き』があることを思い出しました。わたしはすぐにバッグの中身を出し,その本を常夜灯のところに持って行き,そこで病人への祝福の仕方を読みました。大勢の水兵が好奇の目で見守る中で,わたしは祝福を行いました。わたしがバッグに全ての物を戻している間に,レランド・メリルは子供のように眠りに就きました。そして翌朝,気分よく目覚めました。わたしたちは二人とも神権の力に深く感謝したのでした。

 2014年の10月の総大会で「故郷へ安全に導かれる」のお話をされました。(青文字が抜粋)

75年前の1939年2月14日,ドイツのハンブルクで国の祭日が祝われていました。熱烈な演説に群衆が喝采を上げ,愛国心をかき立てるように国歌が演奏される中,新しい戦艦「ビスマルク」がエルベ河に進水しました。この最強の戦艦,よろいを着た巨大な機械は,息をのむほどの光景でした。380ミリ口径,''2連装,レーダー制御の主砲の建造には,5万7,000枚以上の図面を要しました。船内に巡らした配線の長さは4万5,000キロメートル,装甲板の重量は3万5,000トン以上にも達しました。壮大な外観と桁違いの巨大さ,恐ろしいほどの破壊力を備えたビスマルクは,決して沈まないと考えられていました。

 それから2年以上が過ぎた1941年5月24日は,「ビスマルク」にとって運命の日への序章となります。イギリス海軍最強の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋艦「フッド」が,「ビスマルク」およびドイツ軍の巡洋艦「プリンツ・オイゲン」と交戦したのです。4分もしないうちに,「ビスマルク」は「フッド」とその乗組員を大西洋に沈めます。1,400人以上の乗組員のうち生存者は3人でした。もう1隻のイギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」は,ひどい打撃を受けて敗走しました。

その後3日にわたって,「ビスマルク」は幾度となくイギリスの軍艦および戦闘機との戦いを繰り返しました。強大な「ビスマルク」を見つけて海底に葬るべく,イギリス軍は5隻の戦艦と,2隻の航空母艦,11隻の巡洋艦,そして,21隻の駆逐艦を差し向けました。

これらの戦闘で,次々に砲弾を受けても,「ビスマルク」はかすり傷ほどの打撃しか受けませんでした。この船は本当に沈まないのでしょうか。その後,1発の魚雷がたまたま「ビスマルク」に命中し,舵が動かなくなりました。修復の努力は実を結びませんでした。砲撃の態勢は整っていましたが,「ビスマルク」はただゆっくりと円を描くことしかできませんでした。ドイツ空軍の援護が受けられる範囲まであとわずかでした。「ビスマルク」は安全な母港にたどり着くことができませんでした。海路に従って進む能力を失ったため,「ビスマルク」は必要な避難所へ向かうことができませんでした。舵も,援護も,港もありません。終焉の時が刻々と迫ります。イギリス軍の砲撃に遭い,かつては威容を誇った戦艦は,逃げ惑う乗組員もろとも沈没しました。大西洋の波は飢えた獣のように船体をなめ,やがて,ドイツ海軍の誇りを飲み込みました。「ビスマルク」は海のもくずと消えました。
………
強大な「ビスマルク」の有り様は,人間にも当てはまります。タービンやプロペラから推進力が得られても,舵がなければ,方向感覚を持つことも,エネルギーを利用することも,力に方向性を与えることもできません。舵は隠れた所にあり,比較的小さいものですが,その働きは絶対に不可欠です。

2012年4月の総大会で「奉仕する意思とふさわしさ」のお話をされました。(青文字が抜粋)

第二次世界大戦中の1944年初頭,神権に関してある経験をした人がいます。マーシャル諸島の中にあり,太平洋上でオーストラリアとハワイの中間地点にあるクウェジェリン環
第二次世界大戦中の1944年初頭,神権に関してある経験をした人がいます。マーシャル諸島の中にあり,太平洋上でオーストラリアとハワイの中間地点にあるクウェジェリン環礁を合衆国海兵隊が占領していたときのことです。ハワイで新聞記者として働いていた教会員でない人が語りました。その経験をした後で1944年に書いた記事で記者はこう説明しています。彼とほかの記者たちは,クウェジェリン環礁で海兵隊の第二陣に同行しました。進んで行くと,若い兵士が海中にうつ伏せに浮かんでいるのに気づきました。明らかに重傷を負っています。周囲の浅瀬の水は血で赤く染まっていました。すると,もう一人の兵士が負傷兵のもとへ向かいました。この二人目の兵士も負傷しており,左腕が体のわきにだらりと垂れ下がっています。彼は水中に浮かんでいる兵を溺でき死しさせないように顔を上に向けさせました。うろたえた声で助けを求めて叫びました。新聞記者たちは,彼が支えていた青年を再び見て答えました。「わたしたちが彼にできることはもう何もないよ。」
記者は書いています。「すると,これまで目にしたことのない光景を見た。自分もひどく負傷しているこの青年は,もう息絶えていそうな仲間の兵士を何とか岸へ運んで行った。そして,仲間の頭を自分のひざに載せた。何という光景だったであろう。ひどく負傷したこの二人の青年は……窮地にあっても清く,立派な若者であった。一人の若者がもう一人の上に頭を垂れてこう言った。『イエス・キリストの御名と,神権の力によって,医師の助けを得られるまで生き長らえるように命じる。』」記者は記事の最後にこう書いています。「わたしたち3人〔二人の兵とわたし〕は,今病院にいる。〔どうして生きていられたのか〕医師は知らない。しかし,わたしは知っている。」

2011年10月の総大会で「一人でも気高く立ち」のお話をされました。(青文字が抜粋)

わたしが信念に従う勇気を問われる経験を初めてしたのは,第二次世界大戦終盤にアメリカ海軍で働いていたときだったと思います。

海軍の新兵訓練所での経験は生易しいものではありませんでした。だれにとっても耐え難かったと思います。最初の3週間,わたしは命が危険にさらされていると感じました。海軍はわたしを訓練しようとしているのではなく,殺そうとしていると思ったほどです。

最初の1週間が過ぎて初めて迎えた日曜日のことをわたしは決して忘れないでしょう。兵曹長からうれしい知らせがありました。カリフォルニアの冷たい風に吹かれながら練兵所に気をつけの姿勢で立つわたしたちに,兵曹長の命令が聞こえてきたのです。「今日は全員教会に出席する。全員といってもわたしは別だ。わたしは休む。」そして,大声で言いました。「カトリックの者は,キャンプ・ディケーターで集会を行う。3時まで戻って来るな。前へ進め。」たくさんの兵士が行進して行きました。兵曹長は次に「ユダヤ教の者は,キャンプ・ヘンリーで集会を行う。3時まで戻って来るな。前へ進め。」先ほどよりも小さな集団が動き出しました。次に兵曹長は言いました。「残ったプロテスタントの者は,キャンプ・ファラガットの講堂で集会を行う。3時まで戻って来るな。前へ進め。」こう言われるのではないかと即座に思いました。「モンソン,おまえはカトリックではない。ユダヤ教でもない。プロテスタントでもない。おまえはモルモンだ。だから,ここに立っていろ。」わたしはまったくの孤独でした。確かに勇気も覚悟もありました。でも,孤独でした。

そのとき,聞いたことがないような,兵曹長の優しい言葉が耳に入りました。わたしの方を見て,こう尋ねたのです。「おまえたちは一体どこに所属しているのかね。」練兵場でわたしの横や後ろにだれかが立っていることをそのとき初めて知りました。各々がほとんど同時に言いました。「モルモンです。」振り返ると一握りの水兵がいました。それを見たときの喜びは,どう表現していいか分かりません。

兵曹長は頭をかき,当惑した表情を浮かべて結局こう言いました。「よし,行ってどこかに集会の場所を探せ。3時まで戻って来るな。前へ進め。」
前進しているとき,何年も前に初等協会で習った歌の歌詞が心に浮かびました。

モルモンとして勇気を持とう。
一人でも気高く立とう。
福音を固く守り,
人々に知らせよう。

予期していたのとは違う展開になりましたが,それでも必要とあらば,わたしは喜んでそこに一人で立っていたことでしょう。
その日以来,だれも後ろに立っていなかったために,自分一人で立ったことが何度かありました。強く忠実であり続けると,ずいぶん昔に決意していたことに感謝します。そして確かに,そのような場面に遭遇したときには,教会を擁護する備えがいつもできていました。


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