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2016.11.11 自分史・家族史「主の声」 投稿者:サブストローム・セーラ(高校一年生)

「主の声」とは聖霊に感じて語られるものです。
 預言者の言葉や聖文も主の声です。

 先日のべドナー長老のディボーショナルで一番印象に残っているのは、「いつも主の方に心を向け、私たちの行動や姿勢が主に近づけているか、御霊を遠ざけていないかを心に留めてください」という言葉です。
べドナー長老にそう言われた時、わたしは自分の普段の行いを見直すべきだと感じました。高校生になってから学校やいろんなことが忙しくなって自分から主の声を求める機会があまり無かったからです。

また、「私たちはキリストの弟子となりキリストの模範に従う必要があり、弟子となってやるべきことをしている時や主に信頼されているときに御霊の賜物が与えられる」ともおっしゃっていました。
 私たちが主の声をよく理解したいなら、よく仕えて模範に習った生活をすることが大切だと思いました。

 主の声を感じた身近な経験を分かち合います。

 高校の文化祭が土日にありました。始めから日曜日も文化祭に出ると決めていた私は心から二日間楽しめるようにお祈りしていました。土曜日は普通に楽しみ、日曜日の朝起きて時間を見ると、なんと私が電車に乗るはずの時間になっていました。文化祭の日に寝坊して遅刻扱いになるのが、はずかしくてどうしようと考え、ゆっくりしていると、心に「教会にいくべきだ」という強い気持ちを感じました。急いで友達と先生に教会に行ってから文化祭にいくと連絡して、学校から近い多摩ワードで聖餐だけとって文化祭に行きました。学校に着いてから何人かの友達が温かく迎えてくれて、担任の先生にも教会のことを話す機会が与えられて、私は本当に心から二日間を楽しむことができました。

アルマ5章16節に書いてあるように、私たちが最終的に主の前に立ったとき、「あなた方の地上での行いは義の業であった」と言われる主の声を聞くために、この地上でも主の声を聞いて努力する必要があります。私たちにこの福音が与えられていることに感謝します。

  • セーラ姉妹
    担任の先生に教会のことを話したのは朝寝坊がきっかけだったとは面白いですね。どのようなことでも主は福音を伝える機会にして下さることを学びました。川のほとりに育つ若木のような麗しい信心を示して下さりありがとうございます。 -- 岸野みさを 2016-11-11 (金) 15:39:07

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