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2017.04.22 自分史・家族史「祖先探訪かぞいろは(3)―Family Tree」 投稿者:岸野みさを

 個人情報保護法は2003年(平成15年)5月23日に成立し、罰則を含む第4〜6章以外の規定は即日施行され、2年後の2005年(平成17年)4月1日に全面施行した。

 そんなわけで、寺院の過去帳を調べたり、戸籍謄本を取り寄せることも不可能となった。ある名士の檀家の子孫の場合「100万円で調べますよ」と持ちかけられたそうだ。昨今、寺院の財政が行詰まっていて様々なイベントを企画実施していることは承知しているのだが…

 勢い込んでいた私も直系や傍系を遡ることは頓挫してしまった。しかしそのやる気はFamily Treeの重複融合に向うようになった。

 51年前、当時の系図探究はまず、紙の「家族の記録」にローマ字表記で記載。しばらく経つとカタカナ表記になり、漸く漢字、カタカナ、ローマ字の3種類の表記で登録するようになり、現在の様式と同じになった。やがて紙からコンピュターのPaf登録になり、漸く慣れた頃、Family Searchに変わり、それから現在のFamily Treeに変わった。

 筆者の最初の神殿参入は1969年7月21日第3回ハワイ神殿団体訪問で、米アポロ11号月面着陸の翌日のことである。私たち一行はBYUハワイのドミトリーのテレビで人類が初めて月面に第一歩を踏み出すのを見た。生後4か月の長男も一緒だった。当時「系図の渡部正雄」と称されていた彼をはじめ担当者から「ハワイ神殿訪問までに3代7枚の家族の記録を提出しよう」と盛んに呼びかけられていた。私らもそれに間に合わせたので、自分たちの儀式だけでなく、父方母方合わせて3代7枚の洗いやエンダウメント、親子や夫婦の結び固めを身代わりに受けることができた。主の救いと贖いの業に対して深い感謝の思いを抱き感動を味わったことを覚えている。現世だけでなく永遠の世界へ第一歩を踏み出したと言える。

 エンダウメントはライブセッションを日本語行い、アダムの役を当時の北部極東伝道部会長アドニー・Y・小松が、サタンの役を後の第3代東京神殿会長のサム・K・島袋が行った。次の年の1970年9月30日から10月10日のソルトレーク神殿団体参入のときも二人は同じ役割を演じた。彼らはハワイで仲の良い友人として育ったと聞いている。

 ソルトレーク神殿でのエンダウメントは延々と続き、終わったのは夜中の12時を過ぎてしまい、ベビー室の長男や他の子どもたちは泣き疲れていた。ベビーシッターの皆さんには大変なご苦労をかけてしまった。総勢350人の団体様の最初にして最後のソルトレーク神殿訪問と総大会への参加は成功し、総大会ではジョセフ・フィールディング・スミス大管長の勇姿を身近に拝見し「神権」についてのお話を伺った。一面に大管長の写真が掲載されている10月3日のChurch Newsを今も保管している。それから2年も経たない1972年7月2日、96歳になる17日前に天に召された。

 そういうことで私たちの先祖はハワイ神殿をはじめとして、ソルトレーク神殿、東京神殿とこれまたイスラエルの流浪の民のようだ。

 「先祖の儀式は終わっている、コンピュターシステムの変更などやりたくない」と思っていた。ところが上記の遡ることが頓挫した途端に何故か「勧告通りにやらなくちゃ!」と気持ちに変化が起こった。M系図相談員が「取り組み始めるとすぐに主がお喜びになり、先祖が応援してくれていることが分かりますよ」と証された通りになった。祝福はすぐに来た。一人一人取り組んでいくと儀式が終わっているその先祖に、再び思いを馳せることになり、すっかり忘れていた名前が画面で確認できる。夫婦関係や親子関係が再度認識できる。この夫婦には子供が12人もいたんだった!この人はこんな短命だったのだ、養子縁組で苦労をしたんだ、と。つまり、子孫の心を先祖に向けさせる、というエライジャの目的がこの重複融合という一見面倒な作業を通して、更に完成されることが分かるようになった。

 それでも重複では同じ名前が5人も出てきたり、返却されている家族の記録に儀式執行日やその神殿名が入力されているのに画面では「要請」となっていたり、一番困ったのは1976年に東京神殿で儀式完了になっている記録で、これはM相談員からFamily Treeに問い合わせ中である。東京神殿は1980年10月に奉献されたのでそれ以前ということはあり得ない。

 M系図相談員はmos2007(Microsoft Office Specialist)の資格を取得しユタのFamily 
History Libraryで一年間奉仕の業を成し遂げてきた。資格を取得した時、自分は何故このような資格を取るのだろうと自分でも訝ったそうだ。するとその後しばらくして上記の召しが来たのだという。

 当時のPafではあいうえお順に一覧表が表示されるので、人数を数えてみたら直系傍系合わせて1700人以上の登録だった。「粛々とやりましょう」とはM相談員のいつもの激励言葉で「はい、シュクシュクっ」と言いながら毎週木曜日午後2時間の作業を継続している。

 先週金曜日、中学1年生になった孫娘が筆者の夫の母の身代わりのバプテスマを受けにユースの皆と一緒に神殿へ行った。金曜日は公文があるので行きたがらなかったのだが、若い女性の指導者の助けを受けて、当日の朝になって行くことを決心したのだった。夫の母北村綾子は2014年12月1日110歳で天寿を全うした。孫娘も何回か会っているので覚えている。

 次の日に「バプテスマどうだった?」と聞くと「水の中へドボーンと入って、その後、按手を受けて、いい気持がした。ひいおばあちゃんが来ているのかな、見ているのかな、と思った」と言った。すでに身長160㎝を越えているので、なるほどドボーンだと私は笑った。彼女は8歳のバプテスマのとき、終わってからフォントの裏側へ迎えに行くと、なんと泳いでこちら側に来るではないか!驚くやら笑うやら、その映像はいつまでも鮮明である。

 彼女は自分で撮ったスマホから家族6人の顔写真をFamily Treeに張り付けてキャッキャッ喜んでいた。パパの写真は寝起きの髪がボーボーとして芸術家のような風貌だ。「パパこの写真気に入っているの」と言いながら、ママの写真は2人で原宿に買い物に行ったとき自撮りしたものだという。妹はダンスの発表会の時、弟は1年生の入学式。兄は和服姿の小学校卒業式の写真を筆者が貼りつけたのだった。

 また、彼女は自分のページのストーリーに「小学校生活最後の運動会2016」を記載し、今回の「ひいおばあちゃん北村綾子のバプテスマ」も書き込んでいた。

 何かと揺らぐ十代の子どもたちがこうして家族を思い、家族の木を完成させていくことには計り知れない価値があり、改めて救いと贖いの計画に驚嘆し感謝の頭を下げる。
Family Treeに表記されているように、それは「世代間を結び、家族歴史における自分の位置を見出し、家族のストーリーを共有するものである」ことが分かる。

 「人は死ぬために生きており、再び生きるために死ぬのです。永遠の観点から見ると、ほんとうに早すぎる死は只一つ、神にお会いする用意ができていない人の死です」
(ラッセル・M・ネルソン)

 10月で東京神殿は改築工事の為に閉鎖されるそうだ。再開は3年先だという。急げ!とばかりに私と夫、長男、長男の娘、私の娘の長女と「家族中でFamily Treeに取り組み始めたのですね」とM相談員からお褒めの言葉を賜ったのだった。


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