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2017.09.25 自分史・家族史「さようなら N子 また会う日まで―(ある人の記録より)」 投稿者:岸野みさを

ある時、本棚を整理していると2000年6月1日19時から20時に行われたN姉妹のお通夜の資料を見つけた。ご主人が作成した「さようならN子 また会う日まで」と題した冊子も一緒だった。その冊子の抜粋を穀粒に掲載させて頂きたくて管理本部から始まってあちこちご主人の所在を問い合わせたのだったが、分からずじまいだった。結局、ここにご本人の許可を得ることなく掲載させて頂きますことをご容赦願います。

(本文)

 これまで私の妻 N子をささえて下さいましたご家族、親族の方々、医療従事者の方々、各お友達の方々に心からの感謝とお礼を申し上げます。

 N子は平成10年夏より3年越しの闘病生活を続け、平成12年5月31日の昼12時50分にこの世を旅立ちました。わたしは自分の愛する妻がだんだんとこの世から離れて行く様を目にしながら、驚きと言いようのない悲しみを感じつつ、この様な時に人が何を感じ、何を思うのかを至らぬ詩に書きとめました。自分がこの悲しみに耐えるために、書いて行きました。この世から自分も離れてしまいたいという誘惑に打ち勝つために自分が何を感じてきたかを形に残し、心の底からの悲しみを表現しようと思いました。そうすることによって必死に自分を制しました。実際N子がわたしたちの最後の中でわたしに「あなたもきてね いつ来るの?」と尋ねた時に「すぐに行くと」と言わないで理解しあったわたしたちの苦労と努力は大変なものでした。しかし、この時にわたしたちは最後の試しを終え、何か尊いものが完成されたのを感じました。

 この小さな冊子が皆様の最後のN子の思い出となる事を望んでいます。
平成12年6月1日 B・K

ごめんね ごめんね

君の病気を治してあげられなくて ごめんね
僕は君の身代わりになって苦しめますようにって
いつもいつも祈っていた
僕は君の身代わりになって死ねますようにって
いつもいつも祈っていた
だから君を治してくださいって
できなくってごめんね できなくってごめんね
僕が泣き叫ぶと
君は死ぬほどの苦しみの中で
僕の頭を優しくさすってくれました

若い頃

僕らは貧乏だったね
笑っちゃう程 貧乏だったね
テレビも自転車もタンスも
みんなみんな拾っちゃったね
でも家庭の中は
世界一幸せだったね

僕らは貧乏だったね
僕は大学院生で
君は遠くにいる僕のところに何度も来て
貯金使い果たしちゃったね
でも結婚してみたら
大金持ちより幸せだったね

僕らは貧乏だったね
世間知らずの若者だったね
この世の雑事や心配事
みんなみんな無視しちゃったね
でも二人の間は
宮殿の生活より幸せだったね

僕らの出会い

僕らの出会いは秋の日の笑顔の中
秋吉台の木々が美しく染まる頃
君は笑ってた
僕も笑ってた

僕らの出会いは秋の日の笑顔の中
観光バスに温かい日差しが入る頃
君は笑顔でおにぎり食べた
僕も笑顔でおにぎり食べた

二人でいつも笑ってた
僕は君の横顔を見ながら
もう一度微笑んだ
僕らの出会いは秋の日の笑顔の中

モルヒネ

君の息が止まるように
僕が強い薬を頼みました
君がこれ以上苦しまなくてもよいように
僕は涙をこらえて頼みました

君の人生に終止符が打たれるように
僕は先生に頼みました
君が地獄の苦しみから解放されるように
僕が君を殺す決心をしました。

よみがえりの朝

あな うれしき よみがえりの朝
その朝が来たら
愛する妻よ
私はあなたを新しい名前で呼び起こそう
愛する妻よ
私はあなたを本当の名前で呼ぼう
愛する妻よ
この世で過ごせなかった時を取り戻そう
あな うれしき よみがえりの朝


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