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2017.10.30 自分史・家族史「さらにキリストのようになる」 投稿者:武井耕一
(10月29日 聖餐会のお話)

 人との交わりの中で他人の言動で傷つき、不快な気持ちになることがあります。外出先でのトラブル、職場での人間関係や意見の対立、家庭内の不和に直面するとき、寛容と許しの気持ちを持つことが、さらにキリストのようになるために必要です。

 聖典には寛容と許しの模範が示されています。一人目の模範は、ヨセフです。ヤコブの11男として生まれたヨセフは年をとってから生まれたこともあり、父ヤコブからの寵愛を受け、兄たちから妬みをかい、兄たちの策略によりエジプトに売られてしまいます。ヨセフは、エジプトで役人の僕として仕えることになりますが、働きが評価されて、王を補佐して国を治めるつかさとなります。地域一体がひどい飢饉に見舞われた時、エジプトには食糧があると知った兄たちがエジプトに食糧を求めてやってきます。そこでヨセフと数十年ぶりの再会を果たします。そのときヨセフが語った言葉が聖典に記されています。「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。」(創世記45:4-5)ヨセフは、兄たちに謝罪を求めることも仕返しをすることもありませんでした。兄弟たちや父ヤコブをエジプトに呼び寄せて、最もよい土地で食物を与えて養いました。

 二人目の模範は、パホーランです。レーマン人との戦いにおいてニーファイ人の軍司令官として活躍したモロナイの時代にパホーランは政府の指導者でした。モロナイは、軍が苦戦を強いられている原因が援軍を出さない政府の怠慢にあると考え、政府の指導者を厳しい言葉で非難します。「敵があなたがたの周囲で死の業を繰り広げているのに、あなたがたは考えもなくぼんやりとした状態で座に着いていられると思うのですか。」、(アルマ60:7)「民の幸いと自由のために、もっと熱心に務めるべきでした。しかしまことに、あなたがたは彼らに心を配らなかったので、将来数千人の血が、報復を求めてあなたがたの頭に降かかることでしょう。」(アルマ60:10)

 モロナイの非難に対して、パホーランは次のように答えます。「ところで、あなたは手紙の中でわたしをとがめましたが、それはどうでもよいことです。わたしは怒っておらず、むしろあなたの心の広さを喜んでいます。わたしパホーランは、民の権利と自由を守まもれるようにさばきつかさの職を保つこと以外、何の権力も求めません。わたしは、神がわたしたちを自由な者ものにしてくださったその自由にしっかりと立っています。」(アルマ書61:9)援軍を出せなかったのは、政府に対する謀反が起きていたからでしたが、その事情を知らずに非難したモロナイに対してパホーランは怒ることなく、事態を打開するため協力を求めます。モロナイは、パホーラン救出のために進軍し、謀反を鎮圧し、平和を回復します。
 パホーランの態度に関連して、十二使徒のデビット・A・ベドナー長老は、次のように述べています。「あなたもわたしも,他人の思いや行動をコントロールすることはできません。しかしながら,どのように受け止めて行動するかを決めるのは自分なのです。あなたもわたしも,選択の自由を授けられた,自分から作用する存在であり,傷つかないことを選ぶことができるのです。」(リアホナ2006年11月、89-90頁)

 他人の言動で傷つき、不快な気持ちになるとき、どのようにして寛容と許しの気持ちを持つことができるでしょうか。三つのことが考えられます。第一に、相手のことを理解することです。相手の言動の背景にある事情を理解できれば、怒りや嫌悪の気持ちは憐みや親しみの気持ちに変わることがあります。外国で働くときに、その国の文化や価値観への理解を深めることが円滑な仕事に役立つことがありました。第二に、善意の解釈をすることです。相手の言動の真意が分からないとき、なるべく悪い方にとらず、良い方へ考えて受け止めることで心を落ち着かせることができます。第三に、行動を遅らせることです。不快な気持ちを感じたとき、すぐに行動せず、時間を空けることで怒りは弱まります。夜に疲れた状態で作成する電子メールは、言葉がきつくなり、言葉足らずになりがちです。一晩置いて見直すことで冷静な対応がしやすくなります。

 ベドナー長老は、次のように述べています。「自分の霊の成熟度を測る最も適した指標の一つとして,人々の弱さや未熟さにどう対処するか,そして人々からの自分を傷つけるかもしれない行動にどのように反応するかということがあります。」(リアホナ2006年11月、前掲)イエス・キリストは、十字架にかけられたとき、死刑を要求したユダヤ人や死刑を執行しているローマ兵のためには、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」(ルカ23:34)と天父にとりなしの祈りをされました。

 人に対して寛容と許しの気持ちを持って行動するときに、心に平安を保ち、キリストのような特質を身に付けることができることを証します。イエス・キリストの御名によって、アーメン。

  • いつも聖典の中から引用されて、今回はどこからだろうと楽しみにしていました。史実に残る人物は特別かもしれませんが、子孫にとっては私たち先祖も特別になれるのだと思い、家族や隣人に寛容でありたいと、お話を伺って思いました。 -- 岸野みさを 2017-10-31 (火) 16:31:44

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