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2017.10.31 穀粒記者レポート・『推薦著書 田母神俊雄の「戦争論」―日本が永久に戦争をしないための究極の選択』投稿者:ステルス

 「9条守れ」の憲法学者たちではなく、第29代・航空幕僚長として国防に粉骨砕身し、田母神論文では信念を貫いた著者が日本の歴史の真実を記録した一冊だ。核保有国3カ国に囲まれた日本の地に住む日本人が、安全保障意識の覚醒と自主自立への備えを始めることができるように、戦争を回避するための現実論を紹介しよう。

(以下本文より抜粋)
著者プロフィール
 1948年福島県生まれ。防衛大卒業後、航空自衛隊に入隊。約10年間、地対空ミサイルの運用幹部として部隊勤務を経験。その後、統合幕僚学校長、航空総隊司令官などを歴任。
2007年には、約5万人の航空自衛隊のトップとなる第29代・航空幕僚長に就任する。しかし、2008年10月31日、民間の懸賞論文へ応募した作品の影響により、幕僚長を更迭。
航空幕僚幹部付となるも、同年11月3日、定年制が適用され定年退職となる。
現在は、危機管理、政治、国際情勢分析の専門家として、国民運動、講演、著作活動を行う。

はじめに
 ●戦後の日本が戦争に巻き込まれなかったのは、諸国民の公正と信義があったからではない。自衛隊が存在し、日米安全保障体制という国を守る枠組みが物理的に準備されていたからである。
 ●世界に人種平等の理念が広まって人種差別がなくなったのは、大東亜戦争を戦った日本の功績なのだ。これは世界の歴史学者が認めていることなのに、戦後の我が国では日本は悪い国だったと教えている。

もくじ
第1章 日本の近代対外戦争から見えてくるもの―日清・日露・シナ事変
植え付けられた自虐史観
日清戦争の舞台は朝鮮半島だった
戦争の目的は朝鮮の独立・安定だった
「日本は出て行け」と迫られた三国干渉
侵略が正当化されていた時代
満州・朝鮮まで手を伸ばしたロシア―義和団事件
朝鮮を取られたら日本が危ない―日露戦争
日露戦争の勝利は、東南アジアに勇気を与えた
日米開戦のシミュレーションはすでに行われていた
朝鮮・満州を守る必要に迫られた
日韓併合に領土的野心はなかった
排日運動に対する自衛―満州事変
「満州を侵略した」という歴史のウソ
「シナ事変」こそ完全な自衛戦争だった
通州で起こった日本人大量虐殺事件
中国共産党が仕掛けた罠

第2章 アメリカに引きずり込まれた太平洋戦争
長引くはずではなかったシナ事変
日本排除に動いたアメリカ
経済封鎖で追い込まれた日本
ハル・ノートを書いた男
奇襲攻撃ではなかった真珠湾
アメリカと戦わなかったら
ミッドウェーは負けるはずのない海戦だった
アメリカに武士の情けはなかった
パール判事が語った本当の歴史

第3章 自衛隊を国防化しなければいけない理由
アベノミクスと憲法改正
軍隊のない独立国はあり得ない
専守防衛が戦争リスクを高める
憲法9条こそが戦争を誘発する
自主防衛体制を築かないと戦争に巻き込まれる
「自分の国を自分で守る」常識が日本にはない
自衛隊を縛る交戦規定
日本の交戦規定はネガティブリストにせよ
ポジティブリストでは戦えない
憲法9条に苦しんできた自衛隊
自衛隊を国防軍に―憲法改正草案
自衛隊員は捕虜にもなれない?
憲法改正は自民党結党時からの悲願
政治は憲法の下にあるのか

第4章 国家はなぜ戦争を繰り返すのか―世界史の中の戦争
戦争の根底にあるのは生活の格差
富と資源の分捕り合戦
核兵器の登場でなくなった大国同士の戦争
戦争をする理由は変わっていない
戦争は商売?
国際政治と戦争の本質は同じ
戦争の形が変わった
日本はアメリカをどう考えるべきか
現代の軍事力は戦争をするためのものではない

第5章 イスラム国と正義の戦争
イスラム国とは何か
戦争とテロ
テロとの戦いに日本は関与すべきか
日本が犯したテロへの間違った対応
「正義の戦争」とは何か
アメリカの正義はアメリカの国益と同じ
戦勝国が歴史をつくる
アメリカ発の情報で「狂人」扱いされる金正恩

第6章 日本が戦争を回避する究極の選択―核武装
戦争回避の考え方
国連の常任理事国は戦争仕掛け人
米軍が日本にいるのは日本のためではない
恐い相手にはとびかかってこない
決して使われない最強兵器
戦力の均衡を必要としないのが核兵器
核の登場で世界は安全になった
「核なき世界平和」は幻想である
核武装国が世界を牛耳る
50年前、日本は核武装しようとしていた
国際社会に日本の立場を訴える
核武装したインドを見よ
自主防衛体制がなくては核を持てない
まずは武器を国産体制にすること
核はもってさえいればいい認識の兵器

おわりに―国際情勢が危ない

●植え付けられた自虐史観P22-24 より
 「この国に蔓延している戦前を暗黒国家とみなす歴史観は戦勝国に押し付けられたもので、根本的に間違っている。日本はかってすばらしい歴史や文化、伝統を持っていて、それは戦前まできちんと受け継がれてきていた。日本が経験した戦争にしても、領土的野心を抱いて一方的に侵略したという見方は間違っている。しかし敗戦によって戦前の日本はすべて否定され、日本の良いものがどんどん失われていくのはおかしい。日本が守るべきは、日本人によって正しく語られた日本の誇りある歴史であり、文化であるべきだ」私はそう考えるようになっていった。
 そうした私個人の考えを論文という形で表したのが、2008年のいわゆる田母神論文―「日本は侵略国家だったのか」だったのだが、これが最優秀賞をいただくと同時に、思ってもみなかった事態となった。
 ネット上など巷では「よくぞ言った」とかなりの反応をいただいたが、オカミの世界では、私が航空幕僚長という立場にあったことから「航空自衛隊のトップに立つ人間が政府見解に反する論文を出した」と批判が巻き起こったのである。
 私が航空幕僚長という公的立場で政府見解に反するような論文を書けば、多少問題が起きるかもしれないという思いはあった。政府見解とはいわゆる「村山談話」のことである。
個人的には村山談話は撤回すべきだと考えてはいたが、私は論文で村山談話のことには一切触れないように注意した。論文が公表されれば、防衛省内で注意処分くらいのことはあるかもしれないとは思っていたが、まさか一挙にクビになるとは思っていなかった。…………
 私は「思想及び良心の自由は、これを犯してはならない」という日本国憲法19条に従って、個人の見解を述べたに過ぎない。

●戦争の目的は朝鮮の独立・安定だった P、29-32
 当時の清国は、アヘン戦争でいじめられた過去はあったものの、相手はイギリスだし、あれだけ広い国ということもあって「眠れる獅子」と思われていた。実際、清国の方が日本よりも軍艦も大砲も大きく、そう簡単に勝てる国ではないと見られていたのである。
 ところが、戦ってみたら結果は日本の完勝。もともと明治政府のメンバーの大半は武士で戦い方を心得ていたし、圧倒的に勇敢だった。「眠れる獅子」を起こしてみたら獅子ではなく、眠れる豚であったということである。
 日清戦争に勝った日本は、下関条約によって朝鮮が独立国であることを清国に認めさせた上、遼東半島や台湾を手に入れた。勝ったほうが相手から賠償金や領土の一部を得るのは、当時の戦争の世界常識である。
 中国から属国扱いされていた朝鮮は「大韓帝国」という、朝鮮史上初めて中国の干渉を受けない独立国になったわけで、日本としても朝鮮の独立という目的を果たした一方、朝鮮としても歴史上の画期的な出来事であったはずである。
 当時、軍事力のある国は、隙あらば戦争を仕掛け、相手国を植民地化して領土を増やす、あるいは領土の一部を割譲させるといったことを頻繁にやっていた時代である。日本の歴史教科書は「欧米列強」などと記しているが、この欧米列強こそ、産業革命以来、アジアやアフリカを次々と植民地化してきた国々で、私に言わせれば、彼らがやったことこそが正真正銘の「侵略」である。………
一方日本が戦争によって一時植民地化したと言われている朝鮮、中国、あるいは大東亜戦争時の東南アジア諸国を見れば、そういった国々を統治下に置いた動機や経緯、そして統治下で行われた政策は欧米列強のそれとは根本的に違う性質のものであり、これを「侵略」と言うことに私は異を唱えるわけである。そのことはあとで詳しく述べるが、読者の皆さんは、田母神がまず言いたいのは日本は侵略国家ではないということであり、それを頭に置いて、読み進めていただきたい。

●朝鮮を取られたら日本が危ない―日露戦争 P、40-41
 当時の日本とロシアの軍事力は10倍ほどの差があったと言われ、まともに戦ったら勝敗は誰の目にも明らかと思われていた。ロシアの軍人も総じて有色人種の日本をなめており、ピクニック気分で戦地に赴いた者も少なくはなかった。
 そうなるとここが不思議なところなのだが、必ずしも戦力の差が勝敗となって表れるとは限らない。総合的な物力で向こうが圧倒的に上でも、広いロシアですべての戦力をそう簡単に集結させることはできないし、戦争には持てる戦力を最大に機能させる作戦、つまりは知力や勇敢さを発揮させる精神力がものをいう。
 日本は作戦面でロシアを圧倒し、勇敢さで恐がらせて総力を尽くして戦い、最後は、当時、世界最強と目されていたバルチック艦隊との戦いで、これを全滅させた。

●日米開戦のシミュレーションはすでに行われていたP、45-46
 1920年前後に立案されたと言われる「オレンジ計画」である。アメリカ海軍が日本との戦争をシミュレーションし作られた戦争計画で、日本を仮想敵国と見なし研究を始めたのが日露戦争のあとからと言われている。
 実はアメリカは日露戦争の時には「日本支持」を表明し、日本の国債を買うなど、日本をサポートしていた。そして、日本が勝つと日露の講和会議をアメリカ東部の湾岸都市、ポーツマスで開くよう仲裁に入っていた。
 ポーツマス条約で決まったのは、朝鮮に対する干渉をやめ、日本の優先権を認める、満州からのロシア軍の撤退と権益の相当部分の放棄、南樺太の割譲、旅順、大連など清国から奪った権益の放棄、南満州鉄道の譲渡などであるが、アメリカがこの合意にコミットしたのは、もちろん、アジア権益に一枚加わりたいという下心あってのことであった。
 日露戦争時にアメリカが日本国債を買い支えたと言ったが、実は、この資金を出したのは、アメリカの鉄道王、エドワード・ハリマンという男であった。
 実は、このハリマン、日露戦争後に来日すると、日本政府に日本がポーツマス条約で得た南満州鉄道の共同経営を持ちかけている。日本政府もこの話に乗りかけたが、外相の小村寿太郎の強硬な反対にあって結局、拒否している。
 これがアメリカの対日感情を悪化させる引き金になったという説もあるが、アメリカが日本を敵視するようになったと言われる時期と重なるだけに、一因となった可能性はあるだろう。
 ともあれ、この頃からアメリカが日本との戦争を想定していたことは間違いない。そして満州事変、シナ事変という流れの中で、常にアメリカは中国の側につき、日本の足を引っ張るようになる。そして、日本はアメリカとの戦争に引きずり込まれていくのである。

●朝鮮、満州を守る必要に迫られたP、48-50
 言わば、日清・日露戦争というのは、ロシア南下政策への自衛手段をとらなければ危ないという危機感から起こった衝突であり、清国や朝鮮、ましてやロシアの領土獲得を狙ったものではない。そのことは、先に述べた三国干渉で遼東半島を手放したことや義和団事件の際にも、領土的野心を疑われるのを嫌って再三拒否した挙句の出兵であったことなどからわかる。………
 実際日韓併合に関しては、朝鮮を近代化するには相当な金がかかる、出費ばかりかさんで良いことはないからやめるべきだという慎重論が多かった。
 当時のソウルの中心街の写真が今に残っているが、これが首都かというほど一目で貧困がわかる。しかし、ロシアの脅威を考えれば、お金をかけてでも朝鮮半島の近代化、安定化は絶対に必要だという観点から行われたというのが客観的に見て妥当な歴史の解釈である。
 もう一つ、当時の世界情勢で押さえておかなければならない重要なポイントは、日露戦争を戦っている頃からロシア国内では、貧困層の労働者や兵士の間で革命運動が盛り上がりを見せ、1917年にはロシア革命が起きたことだ。
 帝政ロシアが倒れ、世界初の社会主義政権、社会主義国家が誕生したことは、その後の世界情勢に大きな影響をもたらしていく。なぜなら、彼らは自国の革命にとどまらず、コミンテルン(共産主義インターナショナル)を組織し、世界中に共産主義革命を広げていこうとしていたからだ。そして、共産主義の台頭、拡大という世界史の動きが、シナ事変にも日米開戦にも深く関わってくるのである。

●日韓併合に領土的野心はなかったP、51-53
 日露戦争によって朝鮮からロシアを追い出した日本は1905年、英米の承認のもと大韓帝国(朝鮮)を保護国とした。先に述べたように、自立する力のない大韓帝国を放っておいては、東アジアの平和は保たれない上、日本にも脅威が及ぶという判断からである。
 1910年には日韓の間で条約が締結され、日本は大韓帝国を併合する。そしてその状態は第2次世界大戦まで維持されていく。言わば、朝鮮は日本の植民地となっていたわけである。
 しかし、押さえておくべきは、日本は大韓帝国と戦争をして領土を奪ったわけではない。あくまでも、お互いの代表が条約に調印して取り決めたことである。さらに言えば、欧米植民地のように朝鮮の人たちを奴隷のように扱ったり、日本製品を無理やり買わせて売りさばいたわけでもない。
 そもそも、それが目的であれば朝鮮ではなく、資源があって購買力もある他の国をターゲットにしたはずである。朝鮮のインフラ整備や工業化のため日本は多額の資金をつぎ込んだが、それに見合う見返りを得たかと言えば、ノーであろう。
 むしろ第二次世界大戦後(正確に言えば、日韓基本条約で日本が韓国の国家予算の3倍という実質的な賠償金を支払ってから)韓国が急速な経済発展を遂げることができたのも、
 日本が併合時代に整備したインフラの基礎があったからである、と言ったら韓国は怒るだろうが、それが客観的史実というものである。
 ついでに言えば、本書は戦争論がテーマであるから、戦争の末にいたったわけでもない日韓併合の詳細については触れないが、韓国の歴史教育の歪みについて一つだけ指摘しておこう。
 今の韓国では、あたかも第二次世界大戦で韓国は、日本と戦って勝利したかのごとき歴史教育を施していると聞くが、そんな史実はどこにもない。ひどいものになると「1941年に日本に宣戦布告した」などというデタラメな記述まであるようだが、歴史の捏造もここまでいくと完全なフィクションであり、漫画である。
 1941年時点、韓国は日本の一部であって韓国という国は存在しない。それどころか、朝鮮の人たちは日本人と同じ扱いであったから、優秀な人は帝国大学や陸軍士官学校にも行ったし、第二次世界大戦では日本軍の一員として戦ったのである。
 有名な人では、洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将になった朝鮮人がいる。戦後マニラで開かれたアメリカによるBC級戦犯に対する軍事裁判で死刑になった方で、硫黄島の栗林忠道(ただみち)中将と同じ陸軍士官学校26期生である。
 「君は朝鮮人だから助けてやる」と言うアメリカに対し洪中将は「私は日本帝国陸軍の中将であるから一切の免罪を必要としない」と言い放ち、アメリカは彼を死刑にしたのである。
 1期あとの27期生には金錫源(キムソグォン)という、陸軍大佐になった朝鮮人がいる。シナ事変の際、千人の日本人の兵隊を率いていた大隊長(少佐)で、天皇陛下から、日本人でもめったにもらえない金鵄勲章(きんしくんしょう)を与えられた軍人である。
 他にも日本の軍隊で偉くなった朝鮮人は珍しくないが、こんなことは欧米植民地ではあり得ない。奴隷などではなく、同じ日本人として扱ったのだから、こういうことも当然起こるのだ。


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