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2017.11.16 自分史・家族史「改宗に導いてくれた人」投稿者:堤明子

2017年10月28日 聖餐会に於けるお話

 改宗談というテーマを頂き、つらつら思うに、私は宣教師にお会いする前からキリスト教に関係ある出会いが幾つかあり、改宗への序奏となっていたように感じます。それはほとんど高校時代から始まりました。まず、仲良しの友人がクリスチャンで、学芸会に彼女が企画した「最期の晩餐」の劇で、私はマグダラのマリヤの役を演じました。英語の先生から聖書を頂いた事。数学の先生が授業中にマタイ6章26ー28の聖句を話して下さった事「空の鳥は蒔くことも刈ることもせずに天の父は彼等を養い、野の花は働きもせず紡ぎもしないのに、栄華を極めた時のソロモンでさえ神はこのように装ってくださるのなら、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。だからあなた方にこれ以上よくして下さらない筈はないし」というように教えて下さいました。

 そして短大に通うようになり、1年の時ホームルームティチャーのような立場で私達学生を見守って下さったのが高橋三郎先生で、学生時代一番影響を与えて下さった方です。
 当時は戦後5、6年で、まだ世相は混乱していました。先生は折に触れ「今の世はノアの洪水の直前のように人心の乱れた世の中なので、それを改めなければならない」と話しておられました。先生は無教会主義のクリスチャンだったのです。なので暮れにはメサイヤが日比谷公園であるから、今から車に分乗して聞きに行きましょう、とおっしゃって、会場に駆けつけ、一番後ろに立って背伸びしたりして聴きました。
 先生は半年ほど英語の授業を担当されましたが、その後スイスのチュ-リッヒ大学に留学されましたがそちらでキリスト教について辻説法をされ、時々学生達にその様子を手紙で知らせて下さっていました。先生のお話によると、当時、東大学長の矢内原忠雄先生の信仰上あるいは学業上の愛弟子だったようです。
 なので日曜日は矢内原先生の説法を聴きにいく事もありました。お話の内容は内村鑑三という1861年生れで、森鴎外や夏目漱石の頃、日本近代におけるキリスト教に関する問題に一番深く関わった人のお話で、キリストの再臨を唱導し「我は福音を恥じとせず」(ローマ書1:16)という聖句を特に愛しておられたと聞きました。

 そのような学生生活が終わり夫と出会い、婚約中に夫となる人の下宿の同僚としておられたのがホーリネス教会の牧師でした。その人の紹介で立川の神の教会外人牧師へ英会話を習いに行きました。短い間でしたがその英会話の生徒達は改宗した方もおられましたが、私は改宗しようとの気持ちになりませんでした。

 そして結婚し子供が生まれ慌ただしい日を過ごしました。ある日高橋先生愛弟子の一人が高橋先生の講演の説教話をオリーブ葉という小冊子にまとめて定期的に届けてくれましたので先生のご存命中はずっとそこから良き物を得させて頂きました。
 そのような状況1971年頃のある秋日和の午後、私は庭にかがんで草取りをしていました。向かいの家に二人の外人がブザーを押して巡っていました。「何の用事なのかしら」と不思議に思い、そのうちに我が家にも、と心待ちにしていましたが訪れませんでした。
 暫く後の日曜日にブザーが鳴って出てみると例の外人さんが二人で立っていました。「教会の者ですが少しお話しを聞いて頂けませんか?」との事で、居間で書き物をしていた夫にその事を告げると「ここへ通しなさい」と言うので、靴を脱いで畳の部屋に招じ込みました。普通なら見知らぬ人を家の中へ入って頂く事はない筈ですので、私も少し驚きましたがお話しを聞くことになりました。新入りの宣教師がたどたどしい日本語でジョセフ・スミスの歴史にある最初の部分を読んで説明してくれましたが、話の内容がよく理解できませんでしたが夫は黙って聞いていました。帰り際に英会話のチラシを置いて行かれたので中学生の娘に生きた英語に触れさせたいのと自分も知りたい思いがあって、八王子台町の教会に行ってみることにしました。宣教師たちは純粋で優しく、親子で楽しい日々でした。英会話を無料で習うのは心苦しいので夕食を差し上げたくてお招きした時「少しお話してもいいですか?」と言ってアルマの32章の信仰の種についてのレッスンを受けました。

 それが始まりで何度もそのような事を繰り返しました。その間、夫が二度単身赴任し、留守の時は、宣教師達は聖句をメモに残して帰って行きました。そして夫が本社に戻り、自宅から通うようになり、又、元の生活が始まり、教会にも時折通うようになりました。当時の「聖徒の道」も読んで感動しました。それには教会の福祉政策が書かれていました。

 「貧しい人を救うのは、物質的なものを満たす事ばかりでなく、どうやってその人が自分で生きて行かれるか、その自立の方法を探し、つまり自立を助けることが何より大切である」という趣旨が書かれ、教会の倉には沢山の物資が詰められていて、必要な時に必要なものをいつでも援助できるよう備えられていると書かれた記事に感動を覚えました。

 そしてバプテスマのチャレンジがありました。家族単位でバプテスマを受けることがもっとも望ましいと言われていましたが、夫は仕事が多忙を極め、教会生活がきちんと出来ないのではないかと考えたらしく、娘と私にバプテスマを受けたら、と言ってくれましたが、当時はまだモルモンの人口も少なく教会について右も左も分からない不安もあって、躊躇している面もあり、又、娘が「父だけ一人にしたくない」との思いもあり私が先に改宗することになりました。
 娘は後から伴侶の許可を頂いてからと思っていましたが、伴侶の家族は優しい人たちですが宗教に関しては無理解のまま今日に及んでおりますことを、娘に対してすまない思いでおります。バプテスマに備えてモルモン書を兎に角、読み終わろうと頑張りました。聖霊を感じ涙がとめどなくこぼれました。これは誠に真実であると悟りました。

 そして1978年12月7日バプテスマの水に浸りました。初秋の風の冷たい夕暮れでした。
私は小平市で学童保育の仕事をしていましたので、帰宅し、自転車で八王子台町の教会に急ぎました。バプテスマフォントは屋外でしたので沢山の湯を沸かし、儀式に備えて頂きました。夜でも沢山の会員の方々が集い奉仕してくださいました。安らぎのうちに儀式を終えて、又、暗い道を30分自転車をこいで帰宅しました。それからしばらくして帰ってきた夫が「今日は御免、会議で出席出来なかった」と言って小さなケーキを差出し「おめでと」と言ってくれました。

 それからは宣教師と離れ、何となく一人淋しい思いがありました。そんな折、声をかけてくれる姉妹がありました。丸山恵子姉妹でした。彼女の笑顔が今でも心に焼き付いています。教会には聖餐式のみ出席していました。家族が待っていたからです。

 その後しばらくして私は「信仰箇条の研究」という本を読んでいました。そんなある日テレビの3チャンネルをつけてみました。「宗教の時間」でした。著名な方々が対談をしていました。キリストの教えのバプテスマについて話しているようでした。よく見ると恩師の高橋先生が司会者と話しているのを見て驚き、自分の受けたバプテスマの考え方と異なることが分かりました。どのようにかは忘れましたが早速手紙を書いてモルモン書を添えて送りました。その頃にはもう先生は無教会主義の第一人者になっておられました。
 やがてお返事が来て、はがきに「私は私の道を行きますから、あなたはあなたの道を行きなさい」というものでした。これが私の伝道の初めての経験でした。

 高橋先生とのご縁はもう一つあります。夫が亡くなって儀式をどうするかと決める時の話です。夫が事故で入院して、事務局として仕事の穴埋めをして下さった小林さんという方がいらっしゃり、「どのような葬儀をしますか?」と尋ねられました。「前から話し合っていたことなので、キリスト教でします」と答えると「私もクリスチャンです」と言われるので「どちらの教会ですか?」と聞きましたら「無教会主義です」と言われ「高橋先生をご存知ですか?」と尋ねると「よく知っています。彼がスイスへ留学中の時、私が母子を引き取って住まわせていました」と言われ愕然としました。小林さんは葬儀の会社関係を全て総括して下さり大変お世話になりました。
 高橋先生も5、6年前他界され、霊南坂教会の告別式に参列しましたが、それは夫に伝えたい事柄でした。

 この教会に改宗で来たことを心から喜んでおります。神権を頂いた組織と儀式により、老齢になっても老若男女、家族として助け合い日々過ごすことのできる事、ビショップリックをはじめとし、お一人お一人の模範と助けに感謝致します。

  • 「縁は異なもの味なもの」ということでしょうか。姉妹は高名な人々によって真実の教会へ導かれたのですね。今、次の世界におられるその人々は姉妹の働きによって、真実の教えを聞きやすくなっていることでしょう。モルモン書を贈った姉妹の真っすぐな信仰に内心驚かれたのではないでしょうか。-- 岸野みさを 2017-11-17 (金) 14:36:23
  • 高橋三郎という名前はよく拝見した名前でした。無教会の方だったんですね。彼から教師として指導を受け、「あなたの道を歩みなさい」と言う言葉を受けられてよかったですね。珍しいよい経験をされたと思います。姉妹の改宗談を投稿していただいて感謝いたします。 -- 沼野治郎 2017-11-17 (金) 22:06:35

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