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2017.11.28 絵画・イラスト・マンガ「教義と聖約121章の歴史的背景」 投稿者:トク☆オタ

教義と聖約121章投稿用

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 1838年10月25日 暴徒と軍隊による攻撃でクルックトリバーでの戦いでは12使徒のデビッド・W・パッテン死亡。1838年10月30日 ハウンズミルの虐殺。200人の暴徒が少年を含む17人を殺害。15人負傷。翌日ジョセフ・スミスと約50人の指導者が「話し合いをしましょう」との敵側の元教会員の申し出によって出かけてみるとそれは罠だった。
その場で州軍に逮捕された。ジョセフとハイラムを含む6人以外は3週間以内に釈放されたが、6人は11月にインデペンデンスに連行され、リッチモンドに移送され、1838年11月30日にリバティーの監獄に監禁された。1839年4月までそこに拘留される。

 1838年10月27日に発令されたミズリー州のリルバーン・W・ボックズ知事の撲滅令によって8000人の教会員がイリノイ州に逃れる途中で、暴徒から物資を略奪されて、暴力にさらされて殺された。
「もしも、一般民衆の治安のために必要ならばモルモン教徒を敵として取り扱い、撲滅するか、本州より追放しなければならない」
(時満ちる時代の教会歴史P199-215)

 ジョセフは聖徒たちの苦難を聞かされて主に嘆願した。その時の啓示が後の121章、122章、123章の一部になった。

  • 必死に嘆願するジョセフを見つめるキリストの平安な眼差しに安堵を覚えます。 -- 岸野みさを 2017-11-29 (水) 17:51:50

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