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2019.02.01 自分史・家族史「ふるさと回想」 投稿者:ふわふわの

ふるさと回想(小学1年の冬)

刈り入れ後の田んぼで藁や草が燃やされる匂いが大好きだ。車でこのような田園風景に出くわすと思わず窓を開けて深呼吸してしまう。遥か53年前の回想とともに。

小1の秋、一家にとって大事件が起きたのである。

バイクに乗る父が東武バスに轢かれて北千住の井口病院に入院した。複雑骨折のため母が付き添い、一人っ子の私は生まれ故郷の茨城に預けられることになったのである。

父はその後、翌年の春に退院したものの家具の塗装を引受ける塗師屋の仕事は諦め家で手仕事を始めた。いわゆる内職。である。
母が働きに出て父が家で内職をするその後の7年間はわたしにとってはセピア色の思い出として残ったが恐らく両親は壮絶な人生を送っていたはずである。

子供の頃の記憶は希薄で曖昧、特に呑気な私は当時何が起こっているのかを把握するにはあまりに幼稚過ぎたのだろう。ただ記憶の片隅に鮮明に残る映像をこの記録に留めようと思ったのである。

土とタイルで作られた3口のカマドには大きな羽釜がかかっている。飯炊き準備である。藁を一掴み取ってマッチで火をつける。燃え尽きる前にカマドの奥に押し込み、さらに藁束を2束ほど押し込む。火吹き竹で息を送り込む。子供の息では空気が足りず失火しそうになり、おばちゃんに手伝ってもらう。口の周りは例によってドロボーヒゲが残り、あとでゆき兄(あん)ちゃんに笑われることになるのだ。

藁が燃え始めてからも藁束をどんどん焼(く)べる。時間が経つと燃え盛る火とともに重たい木の蓋と釜の間から白い泡が吹き出てくる。すると飯の良い香りが漂う。藁の燃える香りと米の炊ける香りは土間で焚くカマドならではである。ドロボーヒゲの私はなんども深呼吸する。

「風呂ひゃあっちゃえよ」と言われて土間の奥にある風呂場に向かうとゆき兄(あん)ちゃんがいつものように一緒に入ってくれる。

屋根で暖められた井戸水は風呂に使われるのだが、藻が繁殖していてときどき蛇口から藻が飛び出てくる。

東京育ちの私はその度にきゃあきゃあ騒ぎ、ゆき兄(あん)ちゃんは「わきゃあねど、風呂に栄養ええっパイひゃあってんだから」と私に妙な理屈をこねる。手ぬぐいで風船を作りお湯に沈めてお尻のところでボンッとつぶし「屁」と笑われる。その手ぬぐいで私のドロボーヒゲは拭ってもらう。

風呂上がり、喜六(きろく)爺ちゃんが食卓につくと家族の食事が始まる。その間にも飛び交う茨城弁。「・・わきゃぁあんメーよ、・・だんべよ。・・ぁあ、そうかしったぁ・・」
喧嘩腰のようだが談笑中である。語尾はどれも上がり調子。
爺ちゃんがおもむろに膳のてまえのふたを開けて箸と茶碗、そして湯呑みを出す。
家族の誰ともなく急須のお茶を爺ちゃんの湯呑みに注ぐ。温かいご飯をよそう。
爺ちゃんが茶碗があった奥の方からもう何日も前に開けた鯛味噌の缶詰をだす。
卓膳の上にはいつもの香の物、雑魚煮、、、今日の味噌汁の具は茄子と麩、豆味噌の香りがする。

ご飯を食べ終えると爺ちゃんは茶碗に茶を注ぎ、茶碗の中を濯ぎ、仕上げに飲み干す。禅寺の作法のようである。お新香で茶碗の内側を綺麗にして茶で濯いだらそのまま卓膳の奥に湯呑み箸とともにしまう。

爺ちゃんが御膳から離れると家族の食事の終わりである。

爺ちゃんがいつもの囲炉裏の前に戻り、背にある黒光りした引き戸を開け、タンスの中から刻みタバコとキセルを出し囲炉裏の炭火から火を貰う。
1回2回スパスパっと煙を吸うとキセルの先が明るく灯って準備完了である。
タバコは刻みたばこ、朝日と書かれている。子供の目には床屋の床に落ちている毛のかたまりのようである。

ある日学校から帰った私は土間を走り抜けて爺ちゃんに「ただいま」を言い、台所に飛び込んでいった。
土間には太い柱が部屋を隔てるように横たわっている。私は勢いよく飛び越えたはずだったが、その日に限ってカマドから引き揚げた鉄瓶が乗っていて勢いよく蹴飛ばしてしまった。

薄暗い土間での出来事。熱いと思った瞬間だった。「熱い熱い」と泣きわめく私の靴下を脱がせて台所で水をかける爺ちゃん。遠い記憶に私は何度も何度も謝られたような気がしている。

夜になると右足甲に大きな水ぶくれができた。鮒の空気袋のような水ぶくれだ。爺ちゃんは「こっち来(こぅ)よぉ」と私を呼ばわる。
近くに座る私に見えたものはマチ針だった。水を抜くといって私の足首をぎゅっと捕まえ動くなという爺ちゃん。泣き喚くわたし。しばらくして刺されても痛くないことが理解できた私が安堵の表情で爺ちゃんに寄りかかっている。

その時、爺ちゃんが黒光りするタンスから取り出したものはご褒美の飴だった。

何でも出てくるタンスがその日から好きになった。

そして夜。私はいつものように爺ちゃんの横に並べられた湿っぽく黴くさい布団に8時には先に寝かされる。黒い漆塗りの重たい引き戸は囲炉裏端の家族の話を遠くに追いやってしまう。闇の中に母の顔を見つけようと目を凝らす私、顔を忘れたらもう会えない気がして目を見開くのだ。漆黒の天井を端から端へ目を凝らし母を探す時間は祈りにも似たルーティーンでもある。

  • 幼いころの記憶が鮮明で驚きます。またよくものを見て、観察力が鋭いお子さんだったのですね。それからの53年間の記憶と記録が楽しみです。 -- 岸野 みさを 2019-02-01 (金) 11:39:22

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