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2019.09.14 自分史・家族史「8人の王子の物語(2)ー第4王子ー深須重男」 投稿者:深須 重夫

半世紀

 私が始めて教会を知ってから約50年が過ぎようとしている。その間いろいろな事がありましたが、今覚えていることを書き出してみようと思います。
 1971年の春、大学生の私は小金井にある学校へ通っていました。当時、学生運動が真っ盛りで世の中は荒れていました。大学のキャンパスは立て看板が乱立し、建物も占拠され授業にも影響がありました。ヘルメットをかぶり拡声器で大声でがなる仲間がいる一方、私と友人はいわゆるノンポリ学生でした。講義にはまじめに出席しアルバイトをしながら学生生活を楽しんでいました。ある日のこと帰宅途中、国分寺の駅に着いた時でした。駅前の歩道にたくさんの外国人が通行人に話しかけている光景が目に入ってきました。私は関わりたくないと思い、避けてその場を通り過ぎました。別の日、同じ光景が八王子の駅前にありました。今度は行く手を阻まれてしまいました。話を聞くと彼らは宗教家らしく本を紹介しているとのことでした。その場を離れたいという思いで250円で一冊買う破目になりました。しばらく経ってから同じ集団が八王子駅前にいました。もう買ってあるので堂々と通り過ぎようとしているとまた声をかけられました。読んだ感想を聞かれましたが、少しページをめくっただけで、机の上に積読したまま読んでいませんでした。そこから半世紀が始まりました。少し罪悪感があったのか話を聞く約束をしてしまいました。集会所の場所は天神町という名前のところにあり、何か運命的なものがあるなと感じました。集会所には古い黒板とオルガン、そして10脚ほどの椅子が入るスペースしかありませんでした。宣教師からお話もひととおり聞きバプテスマのチャレンジを受けましたが、確信がないという理由で断りました。それでも宣教師たちは家にまで訪問してきて教会に出席するよう勧められました。ある時、宣教師に質問しました。「あなたの場合、理論と信仰とどちらを優先しますか。」と尋ねると即座に「信仰です。」と返答されました。それからバプテスマを受け入れるべきかどうか毎日悩み、大学の授業もうわの空で一日中答えを求めていました。いろいろ疑問はあるけどこの人生で答えがすべて見つかるわけがない、何も答えが出ないまま人生は終わってしまうと思い信仰を試してみようと決心しました。

 ある日曜日の朝、集会所に入るとパンの焼いたいいにおいがしました。アメリカ人は朝はトーストを食べるのだと思いました。後で分かったことですが宣教師たちはパン屋から無料のパンのミミをいただいてきて食費を切り詰めているようでした。集会所でのプログラムはすべて宣教師により執り行われていました。そこへ第3ワード(吉祥寺)から小泉昭子姉妹と第1ワード(広尾)から大村道男兄弟が八王子に出席して集会所の運営を助けてくれました。やがて正式に八王子が支部となり岸野陽兄弟とみさを姉妹が支部長夫婦として召されました。岸野兄弟姉妹は元住んでいたところを引き払って八王子の地に移ってきてくれました。それから八王子支部は岸野支部長のもと大きく成長を遂げました。新天地に着いたブリガム・ヤングは多くの教会員に未開の地へ行って開拓するよう指示しました。その開拓者と同じように岸野夫婦も確固とした信仰を示してくれました。岸野兄弟姉妹に心から感謝します。

 それから就活の時のことです。私は卒業したら世界を見たいと思い旅行会社に就職しようと考えていました。幸いなことにある旅行会社の試験に合格しました。ところが公務員になるよう望んでいた両親や家族の強い反対もあり公務員試験も受けて補欠採用に内定してました。旅行会社に就職すれば土日も働くようになり、教会にも出席できなくなるなと思いどちらにするか迷いもありました。入社式の日、まだ、迷いのある気持ちのまま会場へと向かいました。すると不思議なことが私の身に起こりました。会場が近づくにつれ私の足取りが重くなり、ついには足を前に進めることができなくなりました。人々が私を抜き去っていく中、私は一人で金縛りにあったようにもがいていました。すると前には進めることができなかった足が後ろへ後退させることができました。訳の分からぬ力に捕らえられた私はしかたがなくそのまま帰宅せざるをえませんでした。。今でもあの力は何だったのだろうか、親の執念か神の強制執行かと分からないままです。やがて一通の通知が市役所から届きました。
補欠採用が本採用になったという知らせでした。そして4月から仕事と教会を両立し、今、半世紀が過ぎようとしています。

  • 半世紀も秘めていた証に驚きました。やはり、「神の強制執行」だと思いました。
    何故なら、その後の深須兄弟は八王子に来たすべての「宣教師たちの友」となられて伝道活動を強く支援する重要人物だったからです。英語がペラペラの兄弟は宣教師たちにとってはどんなに心強い存在だったことでしょう。ある時深須兄弟が「宣教師がね『マッサージをお伝えに来ました』というのが困ってね。メッセージと言ってるのでしょうが、どう聞いてもマッサージなんです」と話されたことを思い出しました。更に沢山の思い出をお聞かせ頂ければ嬉しいです。 -- 岸野みさを 2019-09-16 (月) 20:29:25
  • 人の改宗には、みな時があり、神の御こころがあります。岸野ご夫妻とは、これを主催してみえる方ですか?昔、私の所属しているユニット・一宮ワードで発行している広報紙で、会員の改宗談をシリーズにして連載したことがりました。実に多種多様で、それぞれの方法で主は導かれていると感じましたね。私自身は1970年代の初頭、英会話がきっかけでした。主の御手が働いて導かれました。結局英会話は1、2回出ただけで、1ヶ月後には改宗していました(笑)。 -- おーちゃん 2019-09-18 (水) 03:45:07

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