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20050501藤澤 とし子

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2020.05.05 自分史・家族史「着物と私」 投稿者:藤澤 とし子

亡き母を偲んで

 母は私が中学生の頃から急に着物を着始めた。お友達に新舞踊を勧められ、それならば先に着付けを、ということだったらしい。私の実家は今で言うところのコンビニで、結構手広く商売していたため毎日が忙しい日々だったが、夜も7時位になると、いそいそと楽しげに着付けに通って行く母の姿を覚えている。そうこうしているうちに踊りも始め、着物を着て出かけることが多くなった。結婚式にもよく呼ばれて踊りを披露していた。美容院で髪の毛をセットし背筋を伸ばし、着慣れた着物姿で席についていると、隣に座った近所のおじさんに「どこかでお会いしたことがあると思うんですが、どちら様ですか?」と聞かれたことが何度かあったという笑い話がある。今思い返しても、母は着物美人だったと思う。
 一年に2、3度帰る度、母はお気に入りの着物や帯を嬉しそうに見せてくれた。そんな母が一昨年の12月、「わたしが亡くなったらこの着物と帯と踊りのお免状を棺に入れて。」と話しかけてきた。その頃の私にとって、母親はいつもそばにいて助けてくれる人、存在するのが当たり前の人でしかなかったから「ハイハイ」と空返事をしていた。それから二か月経ったころ、母は急にこの世を去っていった。棺には母の言葉通りに紫色の着物と帯を入れてあげた。お参りに来てくれた人たちが口を揃えて「綺麗だわ。よく似合っている。こんな綺麗に亡くなる人は見たことないわ。」と言ってくれた。悲しみとともに誇らしい気持ちでいっぱいになった。

どうして母が元気なうちにもっと着物の話をするとか、着物を着て一緒にお出かけするとか、そういう親孝行ができなかったかと悔しい気持ちもあるが、娘の仁奈と着付け教室に通い初めて一年。今ではもったいないから着てあげようではなく、ワクワクしながら着れるようになったのが嬉しい。母の気持ちを感じながら着物の袖に手を通すのが楽しいのだ。

  • 空返事から、そうやって母上の遺言を守っている自慢の娘で、親子の絆は幕を超えるのだと改めて思いました。姉妹のピシツと着付けた着物姿の美しさは母親譲りのものだったのですね。それをまた若い娘さんが継承していくことは日本の伝統である着物文化に貢献することになります。天晴! -- 岸野みさを 2020-05-05 (火) 17:45:55
  • 私も、母から着物を沢山引き継ぎましたが、倉庫の中に眠ったままです。
    母が、反物を買ってきて自分で縫っている姿を思い出します。娘やお嫁さんに、渡す予定です。
    又、祖母の帯は、黒い絹の生地に金糸銀糸の刺繍がほどこしてあり、大切に受け継いで欲しいと思っています。着物文化は、素晴らしいですね。 -- 牧瀬美代子 2020-05-06 (水) 10:05:48

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