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2020.05.31 エッセイ「祝穀粒7周年記念ー霊界」 投稿者:ふわふわの

知識としてではない実体としての霊界はどのようなところなのだろう。母が他界してからというもの常に考えている。
週一度父の介助のために通う私の実家には母のものが整理しきれないで残っている。
母の遺言は、「私が死んだら欲しい物だけ残して何もかも全て捨てて」だった。
私は生前の母の希望を叶えようと必死になった。しかし父が私達に涙を流しながら嘆願した日から母の遺したものは一切場所を変えることがなくなってしまった。88歳になる父のショックが和らぐように気持ちが落ち着くまで置くことにしたのである。
ひと月もしないある週末、父は「母さんはどこにいるのかなぁ」とつぶやくようになった。
帰ってきたと思ったらすぐに出かけてしまうと言い、寒くはないのか、お腹が空いてはいないのかと聞いても答えてくれずに気づくといなくなってしまうという。毎週父に会うたびにその鮮明に記憶した出来事を息子に話すのである。
最初はショックで認知が始まったのではないかと心配したのだが、その一貫した話しぶりに私も確信を得たのだった。
父は薄くなった帳(とばり)の向こうに母を見つけているのだ。
私に「お母さんはどこにいるのかなぁ、寝る場所はあるのかな、温かい布団はあるのかな」と執拗に聞くので私が得ている霊の導きとかつての経験と知識から霊界の話をしてみた。

霊界はすぐ隣りにあるがいつも見えるわけではない。周波数の異なる世界が地上にあって霊界を成している。
体から開放された母は痛みも苦しみもない世界に今生きていて、福音の話を聞く機会が提供されることになるんだよ。

「うーん、そうかぁ」と素直に聞く父。

私も母に会って話がしたいと心底思っている。今はもう痛くはないのか、苦しくないのか幸せに暮らしているか直接話して確認したい。

母を見ている父によれば、母は生前足繁く通ったダンス教室に通っているのだという。
私はこの言葉に信仰を持って確信に近い気持ちを持っている。
母は霊として生きていて、痛みや苦しみから開放され今を満喫しているに違いない。救いが必要とわかるときには身代わりの儀式によって本人の選びが許されると知っている。霊的に学習した母であれば家族と一緒に暮らしたいと願ってくれるに違いない。母はきっとバプテスマを受ける。そして家族と一緒に住まうことができると。

残念なことに直接母と話すすべは私の周りには用意されていない。
天父に祈り母のことを託し、時折天父の御許から遣わされる天使たちに導いてもらえるよう願うばかりだ。

母が霊界から私を垣間見るとき私の思いや行いを見て希望を持ち続けられるように祈っている。

母が痛みや苦しみから開放されていることを知っていることは本当に幸福なことだと心から思う。
キリストの贖罪により私達はある一定以上の苦しみから開放されていることに感謝している。
現世において与えられた責任を果たし、しっかりと苦楽を体験することこそ霊の糧であり成長の源である。

霊界での仕事も全うし、天で家族と相見え手を携えて永遠に生きることが私のささやかな希望である。

  • 母上がご逝去されたのですね。お悔み申し上げます。私も肉体から解放された霊には痛みや苦しみはないと信じます。死がなければ、復活もなく、不死不滅も、永遠の命もないので死は神が定めた偉大な憐みの計画の一部だと信じ、苦い死ではなく甘い死を願って、いっそう信仰を篤く生活したいと思う所存でございます。 -- 岸野 みさを 2020-05-31 (日) 16:45:49

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