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2020.06.28 自分史・家族史「主に仕えることに喜びを見出す」 投稿者:牧瀬 美代子

「主に仕える」という事を考えた時、「召し」の事が一番に浮かびますが、召し以外にも「主に仕える」には何があるのかと考えてみました。思いついたいくつかを、リストアップしてみます。

○神権者は、神権を行使する
○両親は、子供に対して責任を果たす
○子供は、両親含め家族に愛を示す
○夫婦は、互いの役割を尊重する
○見知らぬ人にも、親切に接した
○自分の得た知識を、分かち合う
○聖典を読む
○職場では、誠実に仕事を果たす
○地域の活動に参加し、貢献する
○学生は、友人や学校で模範となる
○人種差別に、加担しない
◯怒りを遠ざける

等々、こうしてリストアップすると、常に雄々しくなければならない場面が沢山あります。
つまり、私達の生活全てが、主に仕えていると言えるのではないかということです。
どれ一つとっても、神様の業でないものはなく、どれをとっても喜びをみいだせないものはなく、どれもミニスタリングに通じています。即ち、私達の生活の中の行いの中で、何一つ主に仕えていない業はないのですね。また、私達の言動一つ一つが、主に仕えていると考えると、日々の暮らしの中での言動に変化が出てくるのではないでしょうか。正に末日の時代に生きている私達は、SNSなどを通して世界中の国々の人の考えや行動を知ることが出来るようになっています。世の中が悪くなる一方で、教会員であろうとなかろうと、善を行っている人が大勢いる事も知ることができます。
楽しい家族を見る時幸せな気持ちになります。笑顔で話す人を見る時、癒れます。マタイ20:26~28に、「…人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。この様に、イエス様は私達にミニスタリングして下さったのです。イエス様さえ仕えるために来てくださったと、理解するならばましてや私達罪あるものは、喜びをもって仕えなければいけないと、改めて思いました。
笑顔は、ギスギスした社会に潤いと安らぎを与えてくれます。私達は、福音を先に知っている者として、もっと謙遜になり、教会の戒めやルールに従い世の塩となり光となって、笑顔で主に仕える事が出来るのだと思います。預言者を与えて頂いていて、主の声を聞く事が出来ている事に感謝致します。これからも、どの業も救いにかかわる事であると、肝に銘じて喜んで生活したいと思います。
イエス・キリストの御名により、お話し致しました。アーメン

  • 「福音を先に知っている者」としての勤めは大きいと、私も思います。自分の置かれた環境の中で持てる全ての良きものを発揮することによつて、キリストの光を掲げることが可能になると思います。
    -- 岸野 みさを 2020-06-29 (月) 05:14:21

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