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20121101高橋幸夫

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2020.12.11 穀粒記者レポート「クリスマスメッセージ2020―クリスマスそれはジョセフ・スミス」投稿者:高橋幸夫

 もう師走。今年は何をしただろうか。予期せぬコロナに皆が振り回され、しようとしたことがなかなかできなかった、後世に残る史実であろう。でもミニスタリングで心温まるすばらしい奉仕をされた方々もおられることでしょう。ご活動に心から祝し応援いたしたいと思います。
しかし私目は何をしただろうか。機関紙サムエルの発行と、趣味のウォーキングで仲間と歩いたことは例年通りであるが、特にほのぼの心温まる行ないは、さて、出てこないのである。でもあえて言えばウォーキングで少しは喜ばれたかなと。古参の参加者もとより特に新しく参加者となった方たちに喜ばれたことが喜びです。子供の頃の遠足、それは前の日から大いに楽しみであった。歩いて歩いての長距離を田舎道、山登りに体が躍るのである。母が作ったおにぎりの味は格別であった。そして今、私は企画者となり近場で、または電車に乗って離れた場所を引率して歩く。車ではさっと外側だけをちらと見ていくだけ森・水辺・公園、里山。名所旧跡・風光明媚のあちらこちらを歩きで触れる。その新鮮さに感動されるのである。おしゃべりも楽しい、お弁当も心地よい疲れのお昼に景色を眺めながら食べるのはとてもおいしい。古参の参加者、新しく歩く仲間となった方たち、今年も無事に歩き通したことに感謝!主よ、ありがとうございます。ただコロナ禍でにぎやかな都心方面へ行けず、郊外方面もレストランには入れず、自宅で自粛要請もあり、その制約で回数が減ったのが少し残念でした。今年最後のウォーキングは市民グループで八王子郊外へ。モミジの見事な紅葉に参加者はとても満足されました。
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12月になると夜の明かりにイルミネーション飾りが加わる。東京都府中市の大国魂神社の参道である馬場大門欅(ケヤキ)並木通りは府中の繁華街でもある。明るく輝く馬とハート、ツリーなどを撮った。
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欅並木の歴史は古く、その堂々たる威容は大正13年に国の天然記念物に指定された。源頼義・義家の父子が奥州征伐(前9年の役1051~62:平安時代後期の陸奥国で起こった戦い)の途中神社に戦勝を祈願し、凱旋時に欅の苗木1000本を奉樹したのが府中の欅並木の発端である。その後徳川家康が江戸入城(天正18年1590)した後江戸の開幕を行ったが、それを祝して慶長年間(1596~1614)に欅並木に補植し、また関ヶ原・大阪両陣の祈願が成就したお礼に並木両側に馬場を寄進した。馬場は武士が馬術を磨く場であろうか。馬は武将の、騎馬隊の、進軍する重要な足でもあった。
馬といえばイエス様がお生まれになったのは家畜小屋ですね。ヨセフとマリアは宿に部屋の空きがなくやむを得ず飼葉おけが置いてあり家畜たちと同じ屋根の下で泊まることになった。飼葉おけの餌にあずかるのは、ロバ、羊、あるいは馬であろうか。家畜は生活に欠かせない働き者であり食料でもある。大切に育て労役に使い人と同じように屋根のある小屋に住まわせた。日本においても馬(あるいは牛)は貴重な労働力であった。田んぼで鍬を曳き、荷車で農作物を運ぶ。戦後しばらくは日本の農作物生産に大活躍であった。しかし農耕馬に馬小屋はなかった。昔の農家は茅葺の大きな家に人と馬が住んでいたのである。玄関といっても扉のない敷居をまたぐと土間である、私の祖父は百姓でその家は土間の右側に板の間、その奥に畳の部屋がいくつかあり、家の中には井戸があった。土間の左側には馬が住む馬屋と農機具の置き場であった。同じ家に同居する人畜一体の生活であった。古代から家畜は人とともに歩んできた。
主が創造された地球。地球から眺める太陽は夏至と冬至の間を行き来する。夏至の時は最も北の(高い)位置にあり暑さをもたらす。冬至は最も南の(低い)位置にあり夜が早くおとずれ寒さをもたらす。夏至と冬至の中間に昼と夜の時間が同じ秋分と春分がある。12月は夜が早くおとずれ暗さと寂しさが漂う夜道にイルミネーションは明るさとにぎやかさをもたらし、人々の心も明るくする効用がある。
日本一の富士の山、東京都八王子市の高尾山の頂上から富士山が見える、冠雪した富士と周りの山々の景色は清々しく厳かでその自然の美は人々の心を陶酔させる。クリスマスの時期は冬至の時期であるが、12月23日から25日、高尾山から見る富士山、夕刻に日が落ちて、それはちょうど富士山の頂上に来て山の向こう側に消える。雄大な富士と太陽の重ね合わせの輝きに人々はしばしじっと佇み目を凝らす。毎年同じ日に晴れていれば見える高尾山頂上の眺望スポットである。
さてイエス様のお生まれは4月6日であると200年近く前に明らかにされた。聖書のイエス様がお生まれになったときの情景は寒い冬とは思われない。主の御使が羊飼いに救い主がお生まれになったと告げた時は、「羊飼いたちが夜、野宿をしながら羊の群れの番をしていた。ルカ2:8」であるから春から秋の時期であろう。12月の寒い夜に野原に羊を置いて番をすることはない、のである。しかし全世界は幾世紀も前から冬至の時にイエス様の誕生をお祝いすることに。なぜそうなったか。(一説に)冬至を過ぎると夜の時間が短くなっていき、昼の時間が長くなっていく。つまり一番夜の深い時にお生まれになった救世主がこれから明るい世の中へと導きますと、救世主を待ちわびる人々の願望が、明日からは明るい世の中になるのだと。
私は23日に注目する。それはジョセフ・スミスの誕生日なのです。まさしく暗黒の時代を経て復活した教会を導く救世主として誕生された、と私の思いである。また平成天皇と同じ誕生日だったため、平成時代は日本においては祝日であった。私にとってクリスマスはイエス様を想い感謝することと共にジョセフ・スミスを拝する日、新たに初代大管長に深く感謝する日なのです。冬至のクリスマスの時期に関係なく、教会員もそうでない人々も夜の長い12月を明るく楽しく心温まる日々を過ごしますようにと願う一人です。加えて今年はバンデミックに対応されておられる医療従事者の方々に心から感謝いたしたい。皆様のご健勝をお祈りいたします。
2020-12-11高橋幸夫

  • いつも美しい写真を届けてくださり感謝いたします。私も同じ府中に住んでおりますので、府中の良さがわかります。欅並木は有名ですがやはり古木はだんだん枯れてしまい、今では数得る本数しかなくなりましたね。冬は葉を落とし太陽の光を招き、夏は葉が繁り日陰を作りその木漏れ日が夏の暑さから守り心地よさを招きます。本当にこの自然な営みに心から主に感謝いたします。
    -- 工藤駿一 2020-12-12 (土) 22:48:53
  • 一年を振り返るのは大切なことですね。貴殿の歩みの始まりは故郷の山里にあったことが分かりました。健脚は一日にしてならず、ということでしょうか。来年もウォーキンググループとお元気に闊歩してください。当方参加してみたいナという意志があっても足がいうことを聞かなくなっています。 -- 岸野 みさを 2020-12-13 (日) 16:34:27

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