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2021.06.02 エッセイ「祝穀粒8周年記念ー不思議のDNA」 投稿者:ふわふわの

母をなくしてから半年、元気に過ごしていた父が2週間の入院後あとを追うように息を引き取った。
コロナの影響下見舞うことも制限され話もろくにできないうちに父は話ができなくなってしまった。
まだ元気にやっていけると父に出来ることは極力任せて支えてきたが、父に寄り添って暮らそうと心に決めかねた一瞬の隙きを恨む。週に一度の訪問では父を慰めきれなかったのか。
独り身で半年を送っていた父は死に抗うこともせず簡単に受け入れてしまった。
口を開けば亡くなった母の心配ばかりする父には63年連れ添った母のもとに行くことだけが楽しみだったのか。
終戦を尋常高等小学校で迎え、都内の家具屋に奉公した日々。農繁期には主人に暇を乞い文京区から茨城まで自転車で駆けつけ田植え刈り取りにと精を出した。
暖簾分けのころに事故に遭い人生の変更を余儀なくされた33歳の春。7年の療養を経てなお自分のための欲など無く妻のため家庭のためと甲斐甲斐しく働き続けた。
晩年、友の多い母の外出のたびにしつこいほど細かく世話をする父。
それもこれも長く連れ添い身についた先見の賜物のせいと言える。母の健康こそが生きがいだったのだ。

昭和ヒトケタの不器用な愛情表現は外交的でモダンを標榜する母には晩年いささか重かったようだがかつては二人で社交ダンスを習い、おのおの自分の趣味である書道、着物着付けで共に師範免状を極め生き生きと日々を過ごした。

私が地方の大学に進学してからというもの一人っ子の子育てから開放された両親の背には羽が生え旅三昧の歳月を送り、夫婦仲良く日本全国、はては海外まで足を伸ばした。
団体旅行での交友、旅先の未知の食べ物に舌鼓をうつ。現地の案内人との交流は永く続き写真やビデオの山を築いた。

そして今、私達が子供たちの独立とともに旅を満喫している。
私は一人旅をしない。夫婦で行く旅が心地良い。一人では身の置き場にも事欠く始末で旅など考えられない。
思い返せばこれは両親のDNAだとわかる。

あの不器用な愛情表現と家族思いのDNAは私と子供たちに引き継がれていく。

霊界の両親を見倣い、現世でも来世でも夫婦ともに心健やかに手をつなぎ穏やかな陽だまりの下を歩く。こんな日々が永く続きますように。

  • 人は死ぬと分かっていても別れは悲しいものですね。お悔やみ申し上げます。しかし、不思議なDNAによって生命は継承されて行動パターンまで似ていくものなのでしょうか?
    主のご計画には驚嘆するばかりです。親を思う貴重な記録を子孫に残されましたね。
    元気なうちにこの世の旅をお二人で満喫してください。ビバ! -- 岸野 みさを 2021-06-03 (木) 12:19:26

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