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2021.12.11 穀粒記者レポート・『2021クリスマスメッセージー母を訪ねて3000里』投稿者:岸野みさを

 初めて読んだ絵本は「きのこのきのすけ」だった。父が季節労働者として長野市の近くのあんず園に出稼ぎに行った帰りのおみやげだった。美味しいあんずを頬張りながらページをめくった記憶がかすかにある。内容は覚えていないが大きな茶色のきのこが表紙に描かれていた。二番目は4歳年上の叔母が読んでくれた「母を訪ねて3000里」だった。こたつで読んでもらった。叔母が言うには私は聞きながら涙をポロポロ流していたそうだ。

 アミーティス原作で全国学校図書館協議会選定なかよし絵文庫偕成社版のものかは分からない。

 イタリアの貧しい家の13歳の少年マルコがアルゼンチンに出稼ぎに行ったきり音信普通になった母を訪ねていく物語だ。2回ほど手紙と共に沢山のお金が送金されてきて借金を返済することができた。しかし、その後親戚に連絡しても、警察に依頼しても母の行方は分からなかった。

 マルコは父と兄を残して生まれて初めて船に乗り込んだ。船底の3等室は蒸し暑くて、アルゼンチンへ出稼ぎに行く人たちでごった返していた。夜になると皆甲板に出て寝るのだ。マルコはボートの傍で小さくなって寝たが、よく眠れず夜空に光っている星を見上げて「神さま、どうかお母さんに会わせてください」と祈ると涙が頬を伝わって流れたのだった。するとそばにいたお爺さんが「おつれはいないのかね?」とやさしく聞いた。「はい、僕は一人でアルゼンチンにいるお母さんを捜しに行くのです。「そうか。小さいのに大変だなあ。向こうの港に着くまでわたしがついていてあげよう」と言って大きな手でマルコの手を握った。マルコは安心していつの間にか眠ってしまった。お爺さんはマルコに自分の上着を脱いでかけてくれた。船は毎日毎日広い海を進んで行き、ある晩はひどい嵐になった。それでも27日目にアルゼンチンの港に着いた。マルコは親切なお爺さんと別れて、教えてもらった親戚のおじさんのこまものやへ行く道を飛ぶように走って行った。

 ようやく見つけた小間物屋に入ると「あの、メレリー叔父さんの店はここでしょうか?」と聞くと出てきたおばあさんがメレリー叔父さんは3か月前に死んだ、と告げたのだった。
「ああどうしよう」と倒れそうになったマルコにおばあさんはわけを聞きました。そしてマルコの話を聞いたおばあさんは「そうだ、隣の子どもがよく、メレリーさんのお使いをしていたよ。何か分かるかもしれない、聞いてあげよう」と言って隣へ子供を呼びに行った。

 マルコと同じくらいの年齢のその子は「僕、メキネスさんの処へ行ったんだよ。あそこの女中さんに手紙を渡しに行ったんだよ」「あっ、きっとその女中さんが僕のお母さんです。その家はどこですか?」「ずっと向こうだよ、僕が連れて行ってあげる」その子はマルコの手を取って走り出した。やがて立派な家の門の前に来ると男の子は「ほら、この家だよ」と指さした。庭にいっぱい花が咲いている大きな家だ。マルコがベルを押すと綺麗なお嬢さんが出てきて「メキネスさんの家はここですか?」と聞くと「いいえここは私の家よ、メキネスさんは引っ越しなさったのよ」と言いました。「えっ?どこへ引っ越ししたのですか?僕、すぐそちらへ行きます」「でもここから一週間もかかるところよ。ゴルドバという町ですもの」「ええっ!」マルコはがっかりして地べたに座り込んでしまった。

 さあ、マルコはどうなるのでしょう?この後、お嬢さんは父親を呼んできて、赤い帆を三つ張った船のおじさんを紹介してもらい、マルコは大きな広い川を上っていきます。お昼になるとパンと肉をもらい、夜はおじさんたちの間に寝かせてもらった。3日目の夕方帆掛け船は賑やかな町に着いた。「ここからは汽車でゴルドバへ行きなさい」と言われたマルコはまた、一人で旅をするのだった。

 これは見知らぬ大勢の人たちの愛と親切な助けによって、ついにマルコはお母さんの居場所を探し当てることができたという物語です。

 聞いていた幼少の私は人々の親切に涙したのではなく、行けども、行けども母に会うことができなかったことに涙したしたのだと思う。

 終戦後のある日、白いブラウスを着た女の人が訪ねてきた。そして「食べ物を下さい」と言ったのだった。母は舅の方を見ると彼女は「ない」と言った。女の人は家の前の坂道を登って去って行った。母と舅は何か話して、おにぎりを作り始めた。母は急いでそれを持って女の人を追いかけて行った。私は子ども心に追いつけばいいな、おにぎりを渡せたらいいな、と思った。暫くして母が戻ってきて「もういなかった」とがっかりした様子だった。私も悲しくなった。お腹が空いているだろうな、と思った。

 母と舅が女の人に最初からおにぎりをあげていれば、後悔ではなく、その人に喜ばれ、自分たちも人助けをした後の幸せな気持ちになれたのに、と今では思う。
また、それが定められている天の律法であったと今では思う。

「創世の前に天において定められた不変の律法があり、すべての祝福はこれに基づいている。すなわち神から祝福を受けるときは、それが基づく律法に従うことによるのである」
(D&C130:20-21)

メリークリスマス!

  • 私は、母の妹の名が、まる子なので親しみを感じながら、子供と一緒にアニメの「母を訪ねて三千里」を見ていた記憶があります。
    子供達も、見終わると毎回しんみりして、お母さんの子でよかっったと、言ってくれたものですが……あの頃が懐かしいです。
    白いブラウスの女性のお話が、気になります。お腹が空いた人がそんなに早くいなくなるでしょうか?天使だったのかなぁと、想像しました。勇気を持って、悔いながらおむすびを作って走る姿。それだけで、神様は充分だと思われた気がします。子供ながらに、哀れみの気持ちを持っていた岸野姉妹は、感受性豊かなお子さんだったのですね。胸が熱くなりました。有難うございます。
    -- 牧瀬美代子 2021-12-16 (木) 15:31:55
  • コメントありがとうございました。多分、あげるあげない、と舅との話し合いがあって時間がかかったか、その集落は他に3件あったので、女の人はそっちに行ったのかと思われます。また、母はそうは思わず次の集落に登って行ったのでは、と思って坂道を追いかけたのだと思います。親切な行いができれば幸せになることができ、その反対は不幸せになるという変えることのできない律法の中にいる、と分かったのは改宗してからでした。 -- 岸野 みさを 2021-12-16 (木) 22:00:08

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