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2020.05.24 エッセイ「言葉足らず」 投稿者:徳沢 愛子

日日草74号より転載

自分の思いを正確に、言葉に置き変えることは至難の業である。
四月、重症心身障害者八名のクラスに三名の新入生があった。 そのうちの二名は通院(通学)である。朝九時過ぎ、母親に車椅子を押されてやってくる。実に晴やかな顔をして。
或る日の徳沢学級でのことである。「一日千秋」という諺について話し合っていた。一人ずつ一日千秋の思いをした経験があるかたずねていた。40 才のH君は何か言おうとすると非常に緊張するけれど、渾身の力を入れて何とか言葉を発することができる。この子にたずねると、一日千秋の思いでこの徳沢学級を待っているというのだ。 それを聞いた途端、教師の私は「ヘエー それってごますり?」と笑いながらいい、両手を拳骨にしてすり合わせてみせたのだった。自分は一番自分の力を知っていた。それなのにこの子はそんな私の授業を楽しみにしているという。私は恥ずかしかった。私は穴があったら入りたい気分になった。大雑把な授業、その思いがあんな言葉と態度となって突出してしまった。彼は次の瞬間、撫然とした表情をしたのだった。これまで家にばかりこもっていた彼としては、正直な所勉強できることがうれしかったのだ。そうして純粋な気持ちからそのような言葉が出たのであった。それに対して教師たる者の何たる情けない反応。撫然とした彼の表情は、いつまでも私の心から消えず、重い心を抱いたまま、帰りの車を走らせてきたのであった。もっと何か言いようがなかったか。
晴れ渡った新緑の朝の、はしやいだ気分は、心まで軽薄にしてしまった。本当の私は信じられないほどうれしくて、涙が出るほど感動していた。ボランティア活動を続けてきたことの喜びを、その時強く実感していた。こんな失敗を繰り返しながら、少しはましな人間に私はなれるのだろうか。言葉足らずの詩でも書き続けてさえおれば、少しはましな詩が書けるのだろうか。気泡のようになった私は悔いにせめたてられながら、ブツブツと明るい街中を漂よっていったのでした。
常日頃、深く考えないで物言う私は、どんなにか人様を傷つけていることだろう。気づかぬうちに。

  • うわあ!私にもよくあったことです。このような大事な場面ではないのですが……文章を書くときは削除したり、付け加えたりできるのですが、しゃべるときは一端口にすると取り消せないので、本当に焦ります。若いころは相手に手紙を書いたりして、実は……そう言ったけど本当はこうなのよ、等と訂正したりもしましたが、大人になるとそれも女々しいように思えて、さんざん嘆いた挙句ま、いいか、となったりしました。この臨場感溢れる作品によって自戒をさせて頂きました。
    -- 岸野 みさを 2020-05-25 (月) 14:43:20
  • わたしは1972年の改宗で、まもなく48年目の記念日を迎えますが、振り返って思うことは◯◯兄弟、◯◯姉妹のレッスンを受けてみたかったなということでした。その一人が金沢支部時代の徳沢愛子姉妹でした。概して神権会よりも扶助協会のレッスンの方がレベルが高いというのは鉄板で、毎安息日物足りない気持ちで車に乗ると、妻が今日の扶助協会のレッスンもすばらしかったよっていうのです。今も姉妹がボランティアで教えておられること、生徒さんのために幸せに思います。 -- 山田憲彦 2020-05-25 (月) 21:11:07
  • わたしは1972年の改宗で、まもなく48年目の記念日を迎えますが、振り返って思うことは◯◯兄弟、◯◯姉妹のレッスンを受けてみたかったなということでした。その一人が金沢支部時代の徳沢愛子姉妹でした。概して神権会よりも扶助協会のレッスンの方がレベルが高いというのは鉄板で、毎安息日物足りない気持ちで車に乗ると、妻が今日の扶助協会のレッスンもすばらしかったよっていうのです。今も姉妹がボランティアで教えておられること、生徒さんのために幸せに思います。 -- 山田憲彦 2020-05-31 (日) 11:11:35

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