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2020.05.24 エッセイ「れんこん」 投稿者:徳沢 愛子

日日草74号より転載

れんこんを瞼の裏に思い描くと、それだけで昔は乳房が張ってきたものである。もう20年から30 年前の、その10 年ほどの間私はれんこんのだんご汁をよく作った。あの10 年間は次々と妊娠、出産をくり返していた。子供に次々と母乳を与え続けねばならなかった私の時代であった。「れんこんのだんご汁 は、母乳の出を良くする」という祖母からの言い伝えは、金科玉条のように私の脳裡に定着していた。
れんこんをすりおろし、煮立つただし汁の上で軽くひと口大に水気をしぼる。それに片栗粉をまぶし、おだんごにする。沸湯しただし汁の中へそれを踊らせ る。踊りながらだんごは透明になり、浮き上がってくる。そこにお味噌を入れ、ひと煮立ちさせ、火を止める。小口切りの葱を緑鮮やかに放ち、お玉でひとかきすると、母と重なってくる匂いが立ち昇る。このあつあつの味噌汁をすする。幸福を実感する一瞬である。すると確かに、体の内間もない体であれば、腰にさらしを強く巻くか、紐で腰をしばるか、強めのバンドをするかして、れんこんのだんご汁 が乳房にとどまっているようにとの願いを込める。やがて、豊かに母乳が溢れてきて、赤子が口の端に乳汁をあふれさせ ながら、ゴックンゴックンおっぱいを吸う。その顔を見下ろす時、母となれたしあわせがふつふつ湧いてきたものである。「ああ おっぱいが出る」と感じる時がある。だんご汁を飲み終え、うっすら汗してホッとした時である。そう思った途端、両の乳房はピンと緊張し、赤子の口に含ませる瑕もない。両の乳首から一気にそれぞれ4、5本の白い乳汁が一直線に発射される。思いと肉体との密接なつながりは感動的ですらある。こうして胸にタオルを当てて、いつもおっぱいの匂いを体全体から発散させていた女盛りの時代が、今は懐かしい。ぜんまいは血の道に効くとか、くず粉は下痢止めに、風邪には梅干し湯など、祖母から、母から伝わってきた暮しの知恵の数々、それを私も引き継いで暮しに生かしてきた。よほど高熱でもない限り、 五人の息子たちのちょっとした風邪や、病気はこの自然体の方法で治してきた。この確かな手応えのある教えの数々は、今も連綿と五人の息子たちに受け継 がれて いるようだ。
毎年お正月、おせち料理のつまったお重箱の中に、清楚な白い酢れんこんを見つけると、私は紅の塗り箸でつまみ上げ、しみじみ眺めながらひととき、ある感慨にとらわれる。そうして、今は淋しくなった両の乳房を無意識裡に、左手で小さく撫でている自分を発見するのである。れんこんの穴からのぞく未来は、ただ静まりかえっている。あの湿田の泥水の底で縦横に根を張り育ったれんこん、泥の中でたっぷり栄養を含んで丸々太り、シャツキリと立ち現われる姿は、一つの生き方を私に示唆してくれてる

  • 祖母から、またその上の祖母から連綿として伝承されてきた暮らしの知恵には確かなエビデンスがあるのだと思います。また母乳は母であることの代名詞みたいなもので、その母乳をより多く作り出してくれるれんこんのだんご汁は、母乳のさらなる代名詞のようです。赤子に授乳させて命を育んでいる尊い母の姿を映像で見ているような文章です。 -- 岸野 みさを 2020-05-25 (月) 15:07:37

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