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14072501徳沢愛子

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2014.07.25 自分史・家族史「富山大空襲 打木南瓜(かぼちゃ)」  投稿者:徳沢 愛子

暁に祈る 伊藤久男 by taro
 
富山大空襲 打木南瓜(かぼちゃ)              
 
 
徳沢 愛子

兄小学五年生 姉小学三年生 私小学一年生 あの夏の日金沢から富山へ子どもだけで疎開させられた 〝金沢が爆撃される〟 噂は怪物のように私たちを追い立て 疎開列車は鈴なり 小一は窓から列車の中へ放りこまれた あれは母の愛の形 反道徳とは言うまい
 命あれ! 輝き放った一瞬の行為 父は戦地で命を懸(か)け 銃後の母も金沢で乳飲み子の弟を背負いながら 家を守るのに命を懸けていた 富山の実家は従兄弟が跡取り 招かれざる闖入者たちは 土蔵の隅が住いに似つかわしい ボロ布団 虫喰い米 差別心 ひもじい ひもじい毎日 心も体も一億総ひもじい病だった 疎開した富山が大爆撃 森の都 文化の町金沢は難逃れた あの日の爆撃は物の怪のように町を破壊 熊野灘から波状侵入したB29 70機余 三時間にわたり焼夷弾攻撃 晴天続きの上 南西の強い風 その炎の輪で市街地囲み 〝モロトフのパンかご〟と呼ばれる親子焼夷弾
 親が空中で炸裂する 無数の子らは親の意を汲んで 百米四方に飛散して殺傷する 市内殆ど全域焼き尽くして自然鎮火 焼失率全国一の大空襲 〝超空の要塞〟B29は戦争という恐怖の具現 市街地を離れてあの夜凝視した炎の大カーテン 地上からの対空砲撃 腹にこたえる轟音 影絵のように逃げ惑う人・人 無性に母に会いたかった 姉に手をとられ佇む私の全身を 焼け落ちていく街の熱い風がいたぶる 魂だけのように 儚く待ち呆うけの私
 雑音だらけの玉音放送 終戦の翌日 田舎道の日照り 白っぽい地平線から現われた母 夏空に翻(ひるがえ)った私の色褪せた赤いスカート 
 負ぶられている弟の顔は幼児めいて 手土産の南瓜(かぼちゃ)の煮付けは天上の甘露 それは私の魂の臓腑に素早く沁みわたる 腋臭(わきが)くさい母の横で 母の声を浴び 泣くようにして私はふる里の赤い打木南瓜を貪(むさぼ)り食べた
 
 
 

  • かろうじて戦後生まれの、戦争を知らない人間ですが、当時の敗戦国日本人の心情を察するに、つい涙腺が緩んでしまいます。物理的な、武力を伴う戦争は勃発していませんが、実質的には情報戦、プロパガンダ、諜報活動、潜伏、不法滞在など、あらゆる面での静かな戦争は既に始まっていると認識しています。子どもからお年寄りまで、みんなが安心して暮らせる日本を取り戻したい・・・それを目指すのが後世の私たちの責務だと思っています。 -- 昼寝ネコ 2014-07-25 (金) 16:42:52
  • 徳沢愛子姉妹
    「~あの夜凝視した炎の大カーテン 地上からの対空砲撃 腹にこたえる轟音 影絵のように逃げ惑う人・人 無性に母にあいたかった~」
    小学一年生にとって拭い去れない戦争体験がいかほどのものか想像することしかできません。私は1940年生まれで、空襲に遭ったことはありませんが警戒警報が鳴ると親が電気の傘を黒い布で覆い、B29が去るまで家族皆で息を殺すようにしてジーットしていたことを思い出します。
    広島、長崎を除いて地方都市の空襲では最大の被害を出した富山空襲では当時の政府や軍を疑問視している証言が多いと思いました。
    アメリカ軍が「空襲予告ビラ」を投下したにもかかわらず「逃げろ」ではなく「防空壕は安全だ」「初期防火に敢闘せよ」と。死者約3000人の内半分は焼夷弾による死亡だそうですがそれ以外は人的被害だとの証言を読みました。憲兵隊や警防団が神通川にかかる連隊橋(現富山大橋)を封鎖して逃げてくる市民を追い返して消火に当たるように命じた、ということです。火の海を消火せよ、とは狂気だと思いました。市街地の99.5%が焼失!
    -- 岸野みさを 2014-07-25 (金) 18:51:45
  • また8月がやって来ました。知識不足か、戦後生まれの私は、富山の空襲がそれほどひどいものだったとは知りませんでした。戦争の事も風化させず、その悲惨さが語り継がれてほしいです。ありがとうございました。 -- 加納敏江 2014-08-01 (金) 11:19:20

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