穀粒(こくつぶ)会員のための、創作および出版支援サイト

フォーラム「穀粒」命名のいわれ

トップページへ

穀粒ネーミングのいわれ

                                  岸野みさを
 
 「米粒」と聞けば、朝炊きたてご飯を拝食している、おおかたの日本人にはなんなくお分かり頂けることでしょう。文字を見ないで「穀粒」と聞けば「ん?」と脳内検索が素早く作動することになるやもしれません。
 この度、昼寝ネコ名誉編集長から、このサイトの命名をするように依頼されて、「穀粒」に至った経緯をお伝え致します。
 依頼された次の朝、名前をどのようにつければいいのかと思い巡らしながら本棚の前で立読みというか、立調べをしました。

ヤーウエは我らの捕らわれを 返したまえり。
ネゲブの流れの如くに。(浅野順一訳)
涙をもって種まくものは、
喜びの声をもって刈り取る。
種を携え、涙を流して出て行く者は
束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。(詩編126:4-6)

 ヘブル文学の詩編の一つを読むと、涙をもって種まく者に時来たってその辛苦は報いられて収穫の喜びが約束されているシーンが思い浮かびます。
 人それぞれの収穫の束とはどのようなものであろうか?と思いながら、ふと目に留まった、浅野順一著「ヨブ記」―その今日への意義―(岩波新書)に手を伸ばしていました。
 最初開いたページを見ると、なんと「あっ!」「これだ!」これがその名前ではないか!
 エレミヤ23:28の
 「夢を見た預言者は夢を語るがよい。しかしわたし(神)の言葉を受けた者は誠実にわたしの言葉を語らなければならない。わらと麦とを比べることができようかと主はいわれる。」
 の箇所を解説されていました。「わら」とは「もみ殻」のことであり、「麦」とは「穀粒」のことである、と。
 度々教会で「開いたページに答えがあった」(パラパラ探したのではなく)という証を聞いて知ってはいましたが、まさか自分の身の上に起こるとは知りませんでした。
 夜眠らずに考えて真摯に祈り求めて天啓がくだったという類のものではなく、単に偉大な先達の文章から見つけた、というだけのことで皆さまをがっかりさせて申し訳ございません。やはりわたしには「穀粒」に「し」がつくのでしょう。「穀潰し」。

 読み方は二通りあって、米、麦に対しては「こくつぶ」でそれを含めて尚他の穀物を入れた場合は「こくりゅう」と読むそうです。サイトの使命からすれば後者であるのでしょうがあえて「こくつぶ」にしました。
 口で言葉を発してみるとこれまた言いにくく「穀粒」と言っているのに「骨壺」と聞こえるではありませんか!ネーミングの難しさを知りました。

 あなたは聖典の中の麦の「穀粒」に関する物語で何を一番に挙げますか?
私は美しい物語のルツ記です。19世紀フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーの「落穂ひろい」はルツ記が根底に在るといわれています。その日の食物にも事欠き、他人の畑で落穂ひろいをしてまで舅女を支えた異邦人のルツ。
 絵の中の三人の女性たちの疲れている姿と、身に着けている服も傷んでいるのが見て取れます。いつの時代も貧困が絶えない社会で、モーセの驚嘆すべき福祉政策(申命24:19-21)によって、他人の畑の落穂を拾って食べてもよいのです。やがてボアズと結婚したルツはイスラエル最大の英雄ダビデの曾祖母となり、その子孫から救い主イエス・キリストがお生まれになりました。
 ユダヤ教徒はイスラエル三大祭りの一つの「刈り入れの祭り」(シャブオット)でルツ記を読んで、ルツという誠実な改宗者を決して忘れずに、又、この日はモーセが十戒を授与された日でもあるため、毎年もう一度ユダヤ教徒に改宗するための追体験をするという重要な祭りだということです。

 まだお会いしていない見知らぬ人々であるあなたがご自身の持つ大切な「穀粒」によって自らが生かされると共に、他の人々に与えるよい影響によって人々を益することが出来ますようにお祈りします。そして、このサイト「穀粒」をよろしくご活用頂ければ幸いでございます。

                           2013年6月5日

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional