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2013.07.19 エッセイ「人生の晩年の心象風景」 投稿者:昼寝ネコ

Celos - A. Piazzolla

人生の晩年の心象風景

昼寝ネコ

何人もの知人が、老人介護施設で余生を送っている。
ある人はすでに他界し、またある人は対話する相手もなく
ただひたすら、その時が訪れるのを待っている。

人間は老いると、何度も同じ身の上話をするものだと、
半ば非難がましく思っていた。
あるときは、かつての大変だった境遇を聞いてほしく思い、
またあるときは、人生の絶頂期を遠く懐かしむ。

舞台上でスポットライトを浴びることもなくなり、
世の中からは徐々に忘れ去られてしまう存在。
日常生活もすっかり受け身になってしまい、
ラジオやテレビの音声だけが、ただ空しく響いている。

誰がそんな人間に関心を持つだろうか。
なんの得にもならない人間に対して、時間と労力を
誰が割く気になるだろうか。
まるで数百年も同じ場所から動かず、何も語らない巨木を
じっと眺めているように、その存在の無意味さに
嘔吐しそうになる人間もいるだろう。

母は今年で88歳になった。
幸いに良き隣人がたくさんいて、交代で母を見舞ってくれている。
左足首が酷く腫れ上がってしまい、自力歩行が困難になり
ペースメーカーの機能検査では異常がないと言われるものの
少しでも動くと息苦しくなるそうだ。
過去に何度か気を失い、数時間後に奇跡的に
息を吹き返した経験もある。
肺には、そう大きくはないものの、がん細胞が根を下ろしている。
満身創痍とはこのことだろう。

母が13歳の時、父親が亡くなり
小さかった弟や妹のために学業を断念した。
いばらの道の始まりだった。
誰にも言えない辛い心のはけ口を、
独学の短歌に求めるようになった。

14歳の時、たまたま列車のはす向かいに座った男性に
亡き父の面影を見て、そのとき初めて短歌らしい
作品を作ったという。

はすかいに 座りし人に 亡き父の
面差しの見ゆ 瞳くもりぬ

やがて年月を経て結婚したが、夫の両親との同居生活は
凄惨なものだった。
何度も死に誘われ、線路の上で立ち尽くしたり
あるときは吸い寄せられるように、波打ち際に立った。
ある夜、生まれて間もない私を残して家を出る決心をした。
26歳のときだったという。
そのときの心情を、3首の歌にして残したというが、
2首を空で語ってくれた。もう1首は、すぐに思い出せないという。

この家(や)明日 出でぬと思う 夜半(よわ)にして
そを知るごとく みどり子の泣く

かほどにも われを求めて 泣く吾子(あこ)の
縁(えにし)薄きと 胸せまりくる

60年以上経っても、すぐに口をついて出てくるのには
驚いたが、それだけ心の奥深くに鮮明に残っているのだろう。
母と私は親子ほどの年齢の差であるのは当然だが、
私自身は、普通以上の速度で老成しているせいか
人生の晩年に立つ母の心境が、ある程度理解できるように思う。

人間として生まれ、人生を生きてきた人は誰でも、
自分の足跡を振り返り、自分を支えていた
使命感に殉じた人生だったと、そう思いたいのではないだろうか。
さらに、自分に最も近く生きた家族から感謝され、
労をねぎらってもらえたら、これにまさる人間としての
資産は他にないように感じる。

私は母よりひと世代若いので、誰にも知られず
ひっそりとそのときを迎えていいと考えている。
しかし、大正14年生まれで独り暮らしの母には、
非力な私ながら、なんとか人生の晩年に、
その勲章と感謝状を手渡したいと願っている。

こうして書いてみると、不思議なことだが
自分が親不孝なのかはたまた親孝行なのか、
判然としなくなってくる。

  • 人生の宝は、人生のドン底に落ちている。
    勝利を表す「Victory」の「V」は、いったん下がってから上がっていきます。
    いったんドン底に落ちてから、這い上がるのがVictoryなのです。(ひすいこたろう)

    勲章と感謝状、渡せるといいですね。

    -- ペパーミント 2013-07-19 (金) 22:16:06
  • ペパーミントさん

    有難うございます。
    人生のどん底に宝があるって、なかなか
    思い浮かばない発想ですね。
    そうかもしれません。

    V字回復っていいますが、
    可能性を信じることが、まずは出発点なのええしょう。
    -- 昼寝ネコ 2013-07-20 (土) 14:08:18
  • 20代の年若いお母さんが線路に立つ姿、波に足を入れ深みに進もうとする姿を想像すると胸が苦しくなります。そんな思いをして生きてこられた女性がいらっしゃるんですね。壮絶な半生は亡くなる事と同時に灰になってしまうのでしょうか。お母さんが見た線路と海は私の想像するものは違うかも知れませんが、そういう思いをして結婚生活を過ごし子供を育て上げた方がいた事を忘れません。若い時に死別したお父さんの面影を見たという短歌は切なくて美しいですね。私は21歳の時に父が死にました。成人した後に死んだと言っても40歳になった今でも父の夢をみて、目が覚めると胸が苦しくなる事があります。お母さんのこの短歌は私のが想う気持ちを代弁してくれているようにも思います。詩の共有の素晴らしさと救いを感じます。昼寝ネコさんのお母さん、あなたは私の心に波紋を残して下さった。 -- コニー 2013-07-22 (月) 12:57:02
  • こにーさん、コメントを有難うございました。
    ずっと気付かずに、教えられて見に来ました。
    すぐに母に電話して読んで聞かせました。
    私生活のドロドロした部分を、を人に知られるのが
    とても嫌いな母なのですが、作品を整理して
    歌集にしようと説得しています。
    短歌は、作品の出来不出来そのものより、
    共感できたり共有できたりの部分に、
    意味があるように思います。
    母も、おかげさまで抵抗感が薄れてきているようです。
    有難うございました。 -- 昼寝ネコ 2013-07-22 (月) 22:47:23
  • 掃き溜めに鶴!
    あなたはそのようにして生きて来られたのですね。
    日常の修羅場に耐えて自らを殺めることなく、泣き続けるわが子を捨てることはしませんでした。そこに奇跡のように主の支えがあったのです。その支えはずーっと続いているのです。これからもずーっと続くのです。この世ばかりではありません。ですからあなたは
    一人ではありません。 -- 野の花 2013-07-25 (木) 14:09:26
  • 野の花さん 

    コメントを有難うございます。
    電話で母に読んで聞かせました。
    母は短歌を正式に学んでおらず、独学ですので
    自分の作品には自信を持てないでいます。
    少しずつ説得し、ときには恫喝し、
    最近ようやくこれまで作った短歌を
    カテゴリー別にまとめる気になってきたようです。
    ここ穀粒の、譜面台の練習曲に掲載することで、
    皆さんからこうしてコメントをいただき、
    励みになっているようです。
    有難うございました。お礼申し上げます。 -- 昼寝ネコ 2013-07-28 (日) 16:40:06
  • 84年歩んできた母の人生も昼ネコさんのご母堂様と同じく波乱万丈の道でした。
    母がいるからわたしがいる。確かな真理がわたしの支えです。
    『一日が過ぎれば一日削られる 母とのせつな もうコオロギの声』(詠み人知らず)
    『絶え間なく われらの命守りたり 母の遺骨を兄と拾う』(読み人聞かず) -- 松井重之 2013-07-31 (水) 21:50:45
  • 松井重之様
    これは作品欄にご投稿された方がよろしいのではありませんか? -- 空の鳥 2013-07-31 (水) 23:18:36
  • コメントを有難うございます。
    母性愛というのは、ある時期までは煩わしく
    思うものですが、ある時期を過ぎると
    神々しい自己犠牲であることが
    感謝の念を伴って、良く理解できるものですね。 -- 松井重之さん 2013-08-02 (金) 23:07:51
  • 一人の母親として、昼寝ネコさん、あのとき泣いてくれてありがとう。お母さまを助けてくれてありがとう。 -- アイスココア 2013-08-11 (日) 20:26:32
  • アイスココアさん

    コメントに気づかず、失礼しました。
    現在、母は昔からの古いノートに書きためた短歌の
    整理を始めています。最初は渋々始めましたが
    今では札幌の教会員の皆さんの助けもあり
    本格化しています。
    いろいろな思いが詰まった作品だと思いますが
    晩年では、公開して心を軽くした方がいいと
    そう説得して勧めています。

    有難うございました。 -- 昼寝ネコ 2013-08-19 (月) 22:58:02

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