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2016.10.16 自分史・家族史「父の父親―岡本三蔵」 投稿者:岡本忠司

系図探求

 三蔵は昭和9年に妻の律子と結婚。その年に彦一が生まれた。その3年後昭和12年に妻律子は病死し、その後彦一は三蔵の母親のすわのもとで育てられる。三蔵は戦時に出兵し1945年1月6日フィリッピンの首都ルソン島で戦死した。三蔵の戦死の状況については詳細がないが、下記に状況を記す。

 ルソン島の戦いは、1945年1月6日から終戦までフィリッピン・ルソン島で行われた、日本軍(第14方面軍:司令官 山下奉文大将)とアメリカ軍の陸上戦闘のことをいう。首都マニラは3月にアメリカ軍が制圧したが、その後も終戦まで戦闘が続いた。

 1945年1月4日、アメリカ軍航空隊は、マニラ~リンガエン湾間を対象とする爆撃を開始した。1月6日からはアメリカ海軍第7艦隊による艦砲射撃が開始され、3日間かけて日本軍の海岸陣地の大半を破壊した(リンガエン湾上陸(英語版)、1月6日―1月9日)

 三蔵は妻を亡くし、子供の成長を見られないまま、遠いフィリッピンで戦死した。彼の思いは一人残された息子の安否を考えて無念だったのではないか。

 しかし今は霊界で祝福を受けたと私は信じている。末日の啓示に次のことが述べられている。
DC138:56-58 ジョセフ・F・スミス大管長に与えられた末日の啓示

 56 まことに、彼ら​は​生まれる​前​に、ほか​の​多く​の​者​と​ともに、霊​の​世界​に​おいて​最初​の​教​えを​受け、主の​定められた​​とき​に​出て​行って​人々​の​霊の​救の​ため​に​主のぶどう​園で​働く​​準備を​した​の​で​ある。

 57 わたし​は、この​神権時代​の​忠実な​​長老​たち​が、死す​べき​世を​去って​も​彼​の​働きを​続け、死者の​霊​たち​の​大いなる​世界​に​おいて​​暗闇​と​罪の​束縛​の​下​に​いる​者​たち​の​間​で、悔改めと​神​の​独子の​犠牲​に​よる​贖の福音​を​宣べ​伝えて​いる​の​を​見た。

 58 悔改める​死者​は、神の​宮​の儀式​に​従うこと​に​よって​​贖われる​で​あろう。

 系図で調べる先祖の方々は、それぞれに人生があります。その方々の人生を少しでも知ることで、ただ、単に作業をこなすということよりも、その方々への愛情がわいてきます。
現世で成し遂げられなかった家族の絆を次の世で築いてほしいと思います。
 福音を知らずに亡くなった、三蔵、律子は霊界で福音を知り、神殿で儀式を受け、結び固められた彼らは永遠の夫婦として私の父との結び固めを待っています。

  • 岡本忠司ビショップ
    三蔵さまは子孫が地に増えている麗しい様をご覧になって、慰めと歓びに満たされることでしょう。 -- 岸野みさを 2016-10-17 (月) 21:57:50
  • 自らが招いたのではない選択に、どれほどの人々の人生に暗い影を落としたことでしょうか。その中にあって、家族歴史活動とご先祖様の贖いは光明です。すわおばあちゃんのもとで育てられた一粒種の彦一さんは、お元気ですか。 -- 増井 重治 2016-10-18 (火) 12:39:04

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