22021601 芹沢hill
2022.02.16 創作短編「母親」 投稿者:芹沢hill
空襲警報が鳴り響いた。せつは夕方のおつかいに出ていたが、急いで近くの防空壕へと走った。防空壕には近くから走り寄ってきた人々が中の空洞を大体埋めていた。せつが入ろうとすると皆が少しずつ体をずらして端の方に隙間ができた。防空壕の土壁に背中をあずけて息をひそめていると、爆音と地響きがつたわってきた。
アメリカの爆撃機がひとしきり爆弾の雨を降らせた後、せつは他の人々とともに慌てて防空壕を出た。
焼かれた家々、火傷を負って逃げまどう人々が目前に飛び込んできた。
せつは国防婦人会のために旧校舎に行っている母親のことが心配にだった。火傷や傷だらけの人々の間をぬうように走り、おつかいのために持ってきたカゴのことなどすっかり忘れて旧校舎を目指した。
旧校舎に近づくにつれ、怪我人が増えている。目指す建物は焼け壊れていた。せつは泣きそうになりながら
「お母ちゃん!お母ちゃん!」
と声をあげて探した。焼け崩れた旧校舎の中から運び出される怪我人が何人もいる。その運ばれた人々をたどっていくと半壊になっている体育館の床に怪我人が並べれている。たくさんの人が
「痛い」「熱い」
などと、うめいていた。せつが「お母ちゃん」と叫びながら探すと奥の方で弱々しく手が上がった。かけて行くとせつの母親、古満の痛々しい姿があった。背中の火傷が酷く、それなのに
「せつ!無事で良かった。無事でいてくれて…良かった」
と涙を流して起き上がれぬまま喜んだ。せつは泣きながら母親の手を握った。
もう、日が暮れていたが、せつは清潔な水と布を確保しようとまず井戸へ走った。なんとか器を手に入れ、母親の寝かされている体育館に戻った。
看病しようとはするが、どこをどうしていいのか分からないありさまだった。体の半分くらいが火傷していた。息も弱々しい母親の顔をのぞきこみながら、せつは心の中で叫んだ。
(戦争なんていやや!戦争が憎い!!お母ちゃんをこんな目に合わせて、お兄ちゃんも戦争に取られて!!神様はおるんですか?お母ちゃんを助けて下さい。お母ちゃんは良い人なんです!!)
声にならない声で、天に突き刺さるように祈った。
戦争が始まった頃、せつの住んでいる町にも食べ物を人々から貰って命をつないでいる人がいた。ある日、古満が畑から帰って夕食の芋をふかしていると、その人が玄関先にやって来た。土間にいた古満は
「ちょっと待っていて」
と蒸したばかりの芋を半分に折って、その人が持っているお椀の中にいれた。せつは折った芋の半分だけをあげるのかなと思って見ていたのが、そうではなかったので唇をとがらせて母の古満に何か言いたそうにする。
父親が戦前に病死していたため、家計は楽ではなかった。そんなせつを古満は慈悲に満ちた優しい目で制した。その人は深いしわの間に涙を伝わらせて何度も何度も頭を下げて出て行った。
古満は若い頃、外国人の宣教師から神様がいること、人は皆神の前に等しい存在であることなどを教わったと内緒で話してくれたことがあった。その教えを知る前も、古満の両親から人を大切にするように、嫌な事をしないことは当たり前、人の喜ぶ事を考えなさいと教えられていた。キリストの教えは何か両親の教えに通じるものがあると感じて興味を持った。
戦争が始まってそのキリストの教えのことは家でも話さなくなったが、母親が今でも教えを信じている事はせつも、せつの兄の弘四郎も分かっていた。そういう生き方に現れていたから。
(神様!!いるんだったら今こそお母ちゃんを助けて下さい!命、取らないで下さい!とるんやったら、あの時の私の命を取って下さい!)
「お母ちゃん、しっかり。」
泣き続けるせつの腿に古満の手が置かれた。
「お母ちゃん?」
「せつ、いい子やなぁ。幸せに生きなさい。……お母ちゃんは上からいつも見守って…いるから。それに神様も。神様の祝福がせつにあるように。…」
「お母ちゃん、いやや!!」
叫ぶせつの腕の中で、古満の体は冷たくなっていった。
「神様なんて、おらん。」
せつはうなだれて、涙が出るに任せた。
夜はすっかりふけていたが、肌寒いのも、周りの負傷者のうめき声や泣き声もせつの耳にはずっと入っていなかった。せつは孤独に一人、母親の死を看取った。
うなだれたままのせつのまぶたに、半壊の体育館の屋根の間から桃色の光が差し込んだ。夜が明けようとしていた。
呆然としているせつの耳に、周りの人々のうめき声や話声が入ってきた。二つとなりに寝かされていた女性の所にせつより10歳くらい幼い6歳くらいの女の子が来ていた。その女性に向かって
「お母ちゃん、お母ちゃん」
と泣きながら呼んでいる。その姿はさっきの自分と同じ。せつはふらふらと立ち上がりながら、その子の肩に手をかけた。
「大丈夫?」
するとその子が振り向いて、泣きついてきた。せつが確認すると、その子の母親はもう、息をしていなかった。その子がひとしきり泣いた後、名前を聞くと
「みつえ」
と答えた。みつえは少し落ち着くと
「お姉ちゃんは?」
と聞いてきた。
「私はせつ。私のお母ちゃんも死んだ」
と答えた。それしか言えなかった。そんな言葉しか出てこなかった。心が壊れていた。
死んだと聞いて、またわっと泣き出すみつえ。せつは耐えられないくらいにつらかったが、それでも自分より小さなみつえが不憫でならなかった。
みつえを抱きしめていると、温かい体温が、痩せたせつの体に伝わってきた。泣き声と共に流れるみつえの涙の温もり。みつえの呼吸。
温かい… 温かい…
生きている…生きている…
せつはその新しい感覚に静かに涙した。
顔を上げると朝焼けがせつとみつえを照らした。
「朝焼け、見に行こう?」
手を差し出すとみつえは手を繋いできてくれた。体育館の屋根を出て、先程から美しい光を放ち始めている太陽と桃色や薄紫に染められた雲を見た。
その朝焼けはせつが今までの人生で見た、どんな朝焼けにも優って綺麗だと思った。こんな綺麗な色が空に出せるの?とせつは思った。
「きれい…」
みつえが隣でつぶやいた。
(神様っておるんかな?こんな生き地獄の中で、悲惨な中で、こんなにも美しいものを見せるなんて。神様ってどんな人やろう?)
せつは心の中で思った。
そして太陽がすっかり昇るまで、身の回りに起こった出来事、これからについてぼんやりと思い巡らしていた。そのうちになんだか説明のつかない芯のような感情が湧いてきた。踏み越えよう。この生き地獄から、お母ちゃんの言う「幸せ」にたどりつけるのか分からないけど、生きていこう。そう強く願い始めた。
みつえの手を握っていたせつの手に力が入り、みつえはせつを見上げた。せつが静かに涙を流しながら朝日を見ていた。だからみつえも何も言わずに、同じ朝日を見つめた。
せつは二人の母親を弔った後に、みつえの親族を探すのを手伝おうと決めていた。この子の力になりたい。全ての子を助けられなくても、縁があったこの子の助けになりたい。
この手の温もり。ここに小さな母性が目覚めた。
- 6歳や16歳で戦火をくぐり親や人々の死にゆく姿を目の当たりにする過酷さが真に迫ってきます。
「そのうちになんだか説明のつかない芯のような感情が湧いてきた。踏み越えよう。この生き地獄から、お母ちゃんの言う「幸せ」にたどりつけるのか分からないけど、生きていこう。そう強く願い始めた。」
せつは立派な大人になってお母ちゃんの願った「幸せ」を勝ち得たことでしょう。 -- 岸野 みさを 2022-02-17 (木) 15:24:51
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