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16061301徳沢 愛子

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2016.06.13 自分史・家族史「祝 穀粒3周年記念ーすべては善し」 投稿者:徳沢 愛子

 この世で出来湧くすべての事象は、神さまの御心であると、近頃しみじみ思う。順境であれ、逆境であれすべては善しなのである。こう思えるようになったのは、加齢のメリットと言えよう。
 幼少の頃からの私の夢は、幼稚園か小学校の先生になることだった。あの戦中、戦後の貧しい時代、家庭菜園や子育てに忙しい母を手伝うのが、放課後の常であった。弟や妹の世話、川へおむつ洗い(昔はみな川での洗濯であった)等、お手のものであった。小学四年生になると、まだ首の坐らない妹を背負い、銭湯に連れていった。ガーゼの下着で両腕を包み、くにゃりとした赤子を湯舟に入れる。赤子は気持ちよさそうにあくびなんかする。周りの大人たちが感嘆の声をあげる。「小さいのにお母さんみたい、すごいね」などと。と言う訳で子どものことなら遊ぶのも、世話するのも大好きであった。
 やがて夢叶って教員就職の時が来た。そんな時機に縁談が持ち上がった。今の主人である。そこで急ぎ路線変更。他人の子の教師よりも、自分の子の教師になりたいと思った。親が見ていいという男性であれば、それでよしと思っていた。実にいい加減な結婚観であった。3月3日に見合、5月5日に結婚。朝目覚めると、知らない男性が横に寝ていて、しばらくはびっくりしたものである。嫁いでみると、徳沢家は質屋であることがわかった。
 大学出たての、世間知らずの私が(義父母は東京へ転居)突然、質屋のおかみさんになったのである。品物を鑑定することも知らず、かわいそうな人には請求されるままにお金をお貸しし、品物は質流れ、損ばかりの商売であった。たまに帰郷した義父からはひどく叱責された。質屋の日々だけを書き出せば、一冊の本にもなろう。出入りするヤクザ風の若者、恐い顔したおじさん、生活に疲れ、髪ふり乱した主婦、盗品がないか調べにくる警官、心痛むことばかりであった。学生から一気に大人の負の世界を見せつけられた日々であった。やがて質屋廃業。私は心の中でバンザイを三唱したのであった。
 三年の月日が流れても、熱望する子どもは一向に授からなかった。近くの七尾港から、ある七夕の夜、笹舟を作り、中に神様に手紙を書いて子どもをお願いした。神様は私の切なる願いをきき入れて下さり、四年目に次から次へと男の子を五人授けて下さった。
 あとさきになったが、結婚当時、夫はこの教会の会員になったばかりであった。私は仏教の家で育ち、時折仏壇におぼくさんをあげてお参りしていたものである。仲人からこの男性はクリスチャンと聞いていたので、じゃあ、いい人に決まっていると安心して結婚したのであった。
 所が結婚するやいなや、義父母は私に「アメリカの訳のわからん宗教から清(夫の名)を離すように」と私に厳命したのだった。昔のお嫁さんにとって、義父母は絶対的な存在で、逆らうなんてとんでもないことであった。日曜になると、(当初は一時間かかる金沢まで、電車とバスを乗りついで教会に通っていた。)「ねえ、日曜はバイクで遠出しよう」とか、「映画に行ってこようよ」とか言って、私は夫を教会から離す努力をした。義父母の願い通り夫は少しずつ教会のことは忘れていった。それと共に時々、お酒を飲んで帰宅するようになった。子どもはすでに男児五人。私は子どもの前では夫婦喧嘩はしたくなかった。あの頃は今と違って、いつも夫の言うままであった。
 鬱々とした十三年間であった。これではいけない。夫に教会に戻ってもらうことが一番の解決法。あの頃私は夫に何度も教会に戻って欲しいと頼んだ。三百六十五日、盆と正月が一度に来ているような日々。腕白坊主五人の子育て、お酒を飲んで遅く帰ってくる夫、ストレスの渦中、私を慰めてくれたのが詩作であった。超多忙の中で詩を書くひと時は、短時間であっても、大いに私を癒してくれた。詩作の喜びを感じて以来五十年余。今も図書ボランティアとして、地元の中学校へ詩の朗読に行っている。
 その渦中のある日、神様は私の願いを聞き入れて下さり、我家に宣教師を送って下さった。「すべての業には時がある」である。ハウジング伝道で、偶然我家を訪問されたクレメント長老と、マーチン長老(神様の業に偶然はないのかも)。毎週安息日の夕方、訪ねて来られた。一週目、二週目、夫は居留守を使って会おうとしなかったが、三度目の安息日の夕方、夫は耳元で「これで断わったら、あなたはもう救われませんよ」という御霊の囁きをハッキリ聞いたと言う。
 それからというもの、私たちは宣教師からあらためてレッスンを聞き、小学三年生の長男と私が、悔い改めた夫からバプテスマを受けた。一九七四年三月三十日であった。思えば素晴らしい祝福にあずかったのである。宣教師の愛のねばりは、一家七人を教会に導いた。
 これで私たち家族は一つになれる、と思った。それから義父母の怒りが始まった。一人息子の夫を「勘当する」とか、「先祖代々最悪の嫁をもらった」など、すごい剣幕であった。私たちは沈黙するしかなかった。嵐が頭上を過ぎていくのを待つばかりであった。
 一方で私は、義父母の胸の内もよく理解できた。この教会を知らない人にとって、無理からぬことであった。
 当初私は信仰があって改宗したわけではなかった。ただよい家庭を築きたいという一念だけであった。漠然と大いなる存在、神仏は生きておられるという小さな証は、昔から持っていた。教会員になって、従順に、純心に安息日など戒めをきちんと守り、子どもたちに福音を教え、隣人に積極的に奉仕し、教会の活動に活発に参加し、次々といただく責任をこなしていくうちに、私はこの白くて甘い実の、福音という果実の美味しさにのめりこんでいったのである。特に早朝セミナリー教師を延べ九年間続けたことで、私の信仰生活は本物となっていった。※
 この教会生活と平行して五男が幼稚園に通うようになってから、国立病院の重症心身障害児たち(のべ十四名)にボランティア教師として、週一回共に勉強するために通ったのであった。聖書を読み聞かせ、国語の勉強をした。口のきけない子とは、ジェスチャーと言葉でコミュニケーションをとったのである。
 一時期一人反抗する男の子がいて、途中から「金沢こころの電話」のボランティア相談員になって、人間関係をスムーズにする研修を受けたりした。ボランティア教師二十七年間、心の相談員は二十五年間、実にアッという間であった。それが疲労から左耳の突発性難聴になり、その両方から身を引いたのである。息子たちがある程度大きくなった頃、義父母の世話や、実家の父母の見守り等、バイクで駆けまわった。ご近所に住むあるご主人は、私に「新幹線」というニックネームを下さったほどである。息子たちには自立をすすめ、小学三年生になると、皆交代で家族のために安息日だけカレーライスを作ってもらった。途中、主人も仲間に加わり、男六人でローテーションを組んだ。安息日は私にとって、肉体と霊の安息日でもあった。
 息子五人のうち三人が伝道に出て、今も活発であるが、伝道に出なかった二人は、今も不活発である。それだけが今も残念である。でも、私たちの生き様を何とか正しく見せておれば、いつか、きっと喜びの日がくると信じている。この細い道は、時に茨の生い茂る道でもあるが、それを過ぎれば、花や小鳥のいる道に出ることを知っている。実にすべては善しなのである。賛美歌十七番、「無益な憂いは払いて努めよ」、「わが定めを嘆くや否、善きなり」、「歌声高めて神をほめたたえ」、「悩みを離れ行きて正義と住まん」。
 すべては善し、なのである。この平安、この喜び、この感謝。我家のパイオニアである夫に感謝である。
 私の半生を振り返れば、どんな逆境が来ても次の聖句が私の手をとって、花と小鳥の道へ案内してくれた。ローマ人への手紙の中にある「艱難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを知っているからである。そして希望は失望に終ることはない。」
 聖書、モルモン書、教義と聖約などの中に人生の諸問題の解答が至る所に、ふんだんに光り輝いている。そのお蔭で私の半生は順境にしか思えない。すべては善しであった。
 天父は独り子を通して、私たちに慈愛の眼をいつも、どんな時でも注いで下さっています。何と喜ばしいことかと思う。そのことをへり下って心から証します。イエス・キリストの聖なる御名により、アーメン。

※ 東京神殿での一年半の(神殿宣教師)奉仕。福岡神殿での三年間(メイトロンとして)の奉仕。これらの責任もまた、信仰を深めるものであった。人は隣人に奉仕することで、人になっていく。これは実感である。

  • ありがとうございます。すべてにアーメンと申し上げます。 -- 丸山 幹夫 2016-06-14 (火) 10:39:47
  • 「僕よ、よくやった」と主からお褒めの言葉を頂ける半生だと思いました。特に驚嘆したのは小学4年生でまだ首の坐らない赤子を銭湯につれていき入浴させたことです。如何に母上の信頼が厚かったとはいえ、入浴していた周りの女性たちの驚きの視線や心配の気持ちが目に見えるようです。既にそこに主の御手があり、新幹線となってもそれはますます気迫に満ちたものとなっていったのですね。ありがとうございました。 -- 岸野みさを 2016-06-14 (火) 12:06:37
  • 臨終の際に不活発の子どもの手をとって「〇〇だけが心残りだ。あの世に逝ってもこころ穏やかに暮らせない・・・」ハラハラと涙を流そうと画策している。さすがに子どもも考えるだろう。生きてるあいだに仮病をつかって練習しておこう。徳沢愛子さま、共感いたします。そして,生きてるだけで儲けもの。残りの半生も「すべては善し」です。 -- 言霊 2016-06-17 (金) 12:11:49

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